『ヘチ』で描かれた景宗という国王は歴史的にどう評価されたのか

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NHKの総合テレビで日曜日に放送されている『ヘチ 王座への道』。6月13日に放送される第18話では、朝鮮王朝の20代王であった景宗(キョンジョン)が亡くなり、いよいよ英祖(ヨンジョ)が即位する流れになっていった。

それにしても、景宗は即位してから、わずか4年の在位であった。他の歴代王と比べても、在位期間が極端に短い。しかも、さしたる業績を残すことができなかった。そういう意味では、「影の薄い国王」と言わざるをえないが、人格的に多くの人に慕われたのは間違いない。とても性格が良かったのだ。

そんな景宗の人生を振り返ってみよう。

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彼が生まれたのは1688年だった。父は19代王の粛宗(スクチョン)であり、母はチャン・ヒビンだ。この母は悪女としてあまりに有名だが、景宗は母親より父親によく似ていたと言われており、子供の頃から性格が良かった。

チャン・ヒビンが仁顕(イニョン)王后を呪詛(じゅそ)した罪で死罪になったのは1701年で、景宗が13歳のときだった。

当時、彼は世子(セジャ)になっていたが、母の罪によって、あやうく世子の資格を奪われそうになった。高官の中には景宗を世子から追い落とそうとする勢力がいたのだ。

写真出典=韓国SBS『ヘチ』公式サイトより

肩身の狭い思い

しかし、粛宗が最終的には景宗を世子のままに残した。やはり、長男であることをとても重視したのである。

こうして世子の資格を維持し続けた景宗。粛宗が亡くなったことによって即位したのは1720年だった。32歳になっていた。

彼は国王になってから、政治の主導権を発揮したとは言い難かった。人格は優れていたが、決断力に欠けるところがあり、自分で積極的に政策を推進するというタイプでもなかった。結局、高官たちが政治を仕切ることが多くなっていった。そういう面で、国王の業績が少なかったのは確かだ。

しかし、王宮で奉職する多くの人から、景宗は慕われた。歴史を正しく記した「朝鮮王朝実録」でも、景宗が亡くなったときには、その人間性をとても高く評価する記述をたくさん載せている。このことは後世の人たちにもよく記憶された。

景宗は母が典型的な悪女であり、その点では肩身の狭い思いをたくさんしてきたことだろう。それにもめげず、彼は正しい行ないを続けて、堂々と生きたのである。景宗とは、そんな国王であった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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