『ヘチ 王座への道』というドラマでは、主役のチョン・イルが演じている延礽君(ヨニングン/後の英祖〔ヨンジョ〕)は才能ある人物として描かれている。正義感も強く、行動力も申し分ない。ドラマの主人公としてはうってつけの人物だ。
歴史的に言うと、延礽君はとても出来がいい王族だったので『ヘチ』での描き方も問題がないのだが、その一方で気になるのが20代王・景宗(キョンジョン)の人物像である。
【トンイの真実】歴史書が記されたチャン・ヒビンの息子・景宗の人柄と悲運
このドラマで景宗は、決断力がなくて主体性のない人物となっている。粛宗の後を継いで国王になってからも高官たちに対して的確な指示を出すことができず、いつもうろたえている。
そんな景宗を俳優のハン・スンヒョンが演じているが、景宗はどう見ても国王にふさわしくない。しかし、ドラマと違って歴史上の景宗はどんな人物だったのだろうか。
景宗は粛宗の長男として1688年に生まれた。母親は悪女で有名な張禧嬪(チャン・ヒビン)である。
その張禧嬪が1701年に王妃を呪詛(じゅそ)した罪で死罪になった後、景宗はずいぶん肩身の狭い思いをしていた。
長男だったので世子(セジャ)にはなっていたが、粛宗は世子を他の王子に変えるのではないかと思われていた。
しかし、結局は粛宗は世子を変えなかった。そして1720年に粛宗が亡くなった後、景宗は20代王として即位した。
在位はわずか4年間だった。これだけ短いと国王としての業績を残すことはできないが、彼が1724年に亡くなったとき、朝鮮王朝の歴史を記した「朝鮮王朝実録」は景宗のことを大変褒めたたえている。
その「朝鮮王朝実録」では、「景宗は性格がとてもよくて、思慮深く多くの人に愛された」と最大級の評価をしているのだ。
「朝鮮王朝実録」の記述は客観性を重んじたので、書かれていることに信頼がおける。こうした事実から見ても、景宗は長く国王を務めていれば名君になれたかもしれない。
『ヘチ』で描かれた景宗は、歴史上の評価とはちょっと違っているようだ。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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