古代の歴史を壮大に描いたドラマ『百済の王 クンチョゴワン』でカム・ウソンが演じたのが、百済(ペクチェ)第13代王・近肖古王(クンチョゴワン/?~375年)である。
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彼の治世はまさに百済の黄金時代であり、文化と軍事の両面で国が最も輝きを増した時期であった。堂々たる体格と威厳に満ちたまなざしを持ち、静かに立っているだけで周囲を圧倒したという。
若き日の彼はすでに知略に富み、決断に迷いのない人物として知られていた。即位するとすぐに“富国強兵”を掲げ、百済を新たな次元へと導く改革を断行した。
国内では法と制度を整備し、農地の開発を推し進め、兵士たちを鍛え抜いた。国全体が一つの生命体のように脈打ち、息を合わせて進む姿は、当時の東アジアでも異彩を放ったと伝わる。その努力は実を結び、百済は数十年のうちに勢いを増していき、高句麗(コグリョ)を脅かすまでに成長する。
転機となったのは、西暦371年。長年の緊張関係に終止符を打つべく、近肖古王はついに大軍を率いて高句麗への遠征を決意した。
冷たい風が吹く平壌(ピョンヤン)近郊の戦場に、数万の兵が集結した。剣のきらめきと鼓の響きが空を裂き、王自ら馬上から戦況を見極めた。
伝承によれば、赤い旗を掲げた高句麗の精鋭部隊が最も手強いと知るや、王はためらうことなく突撃を命じたという。戦場は瞬く間に炎に包まれ、矢が雨のように降り注いだ。剣と剣がぶつかり合い、叫びと轟音が混ざり合うその渦の中で、百済軍は圧倒的な力を見せつけた。
ついに敵国の故国原王(コググォンワン)が討ち死にし、高句麗軍は瓦解。百済は勝利の雄叫びを上げ、東アジア全体にその名を轟かせた。しかし、近肖古王の真の偉大さは剣の力だけにとどまらなかった。彼は文化と外交の力を理解していた数少ない王であった。
中国との交流を深め、新しい学問・技術を積極的に導入。特に仏教と漢字文化を取り入れたことは後世に計り知れぬ影響を与えた。
仏教は人々の心を潤し、芸術や思想の根幹となった。宮殿には香の煙が漂い、僧の読経が響く。文字が国の知を記し、石に刻まれた願いが後の時代まで残った。
こうして、近肖古王は“武”と“智”を兼ね備えた名君として君臨した。彼のもとで百済は、豊穣の地でありながら知の花が咲き誇る国となった。力と文化の均衡、そのどちらもが調和した王国こそが、彼が築いた理想の姿であったのである。
近肖古王の時代は、百済史上もっとも生命力に満ち、夢と情熱に輝いた季節だった。彼の名は今もなお、勇気と知恵をもって国を導いた王として、人々の記憶の中に息づいているのである。
【近肖古王の人物データ】
?~375年
主な登場作品()内は演じている女優
『百済の王 クンチョゴワン』(カム・ウソン)
文=大地 康
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