【サク読み韓国史】高句麗、百済、新羅がしのぎを削り合った三国時代

2020年05月07日 歴史
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韓流時代劇の舞台となっている朝鮮半島。初めて国家が誕生したのは、紀元前2333年に建国された古朝鮮(コジョソン)という主張がある。

しかし考古学的に証明できるものではないため、朝鮮半島最初の国家は、紀元前195年頃に建てられた衛氏朝鮮(ウィシチョソン)と見るのが妥当だろう。その衛氏朝鮮は中国・前漢によって紀元前108年に滅亡。すると、朝鮮半島には多くの国が興ることになる。

まず紀元前57年に建国されたのが新羅(シルラ)だ。始祖は朴赫居世(パク・ヒョッコセ)。朝鮮半島最古の歴史書『三国史記(サムグッサギ)』には、朴赫居世の誕生と新羅の建国過程が記述されている。

それによると、古朝鮮の遺民が現在の慶尚道地方に移り住み、6つの村をつくっていた。そのある村長が山のふもとで大きな卵を拾い、それを割ってみると、中から子供が出てきた。それが朴赫居世で、彼は13歳で6つの村の王となり、国家を作ったという。国号を“新羅”と定めたのは西暦504年のことだ。

朝鮮半島に3つの大国が誕生覇権争いを制したのは?

新羅建国とほぼ同じ時期の紀元前37年には、朝鮮半島の北部に高句麗(コグリョ)が建国。始祖は朱蒙(チュモン)こと東明聖王(トンミョンソンワン)だ。

彼はもともと東夫余(トンプヨ)という国家の王子だったが、兄弟たちの迫害を受けて国を脱出。現在の中国・遼寧省の近くで新しい国家を建国したと記録されている。

新羅、高句麗と新興国家が誕生する中で、紀元前18年になると、今度は百済(ペクチェ)が建国される。百済の始祖は温祚王(オンジョワン)で、彼は高句麗の始祖・東明聖王の息子という説もある。

東明聖王が長男を王位後継者に指名すると、温祚王は母や兄とともに高句麗を離れたという。そして、現在のソウル南東部に都を構え、百済を建国した。

ちなみに百済という国号は、温祚王が国を興す際に、“百姓(ひゃくせい)”を受け入れたこと由来となっているそうだ。

三国時代

朝鮮半島に高句麗、新羅、百済という3つの大国が覇権争いを繰り広げた時代を“三国時代”と呼ぶ。

3国は激しく攻防戦を続けたが、三国時代に終止符を打ったのは、新羅だった。対立から一転、手を組んだ高句麗と百済に対して、新羅は中国・唐(とう)と同盟を結ぶ。そして新羅と唐の連合軍は、660年に百済を、668年に高句麗を滅亡させた。

新羅はその後、朝鮮半島に居座ろうとした唐と7年間に及ぶ戦争の果てに、ついに唐を追い出して、三国統一を果たしている。

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