『トンイ』で粛宗が新しく迎えた仁元王后はどんな王妃だったのか

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テレビ東京で放送されている『トンイ』も終盤になり、王宮の勢力図が一変していった。1701年に仁顕(イニョン)王后(演者パク・ハソン)が亡くなって張禧嬪(チャン・ヒビン/演者イ・ソヨン)も死罪になった。粛宗(スクチョン/演者チ・ジニ)としては、新しい王妃を選ぶ必要があった。

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王妃は誰になるのか。とても重要な問題となったが、トンイこと淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ/演者ハン・ヒョジュ)は、あまりにも身分が低かったので、新しい王妃の候補にならなかった。

結局、粛宗が選んだのは高官の金柱臣(キム・ジュシン)の娘だった。その娘は1701年に宮中に入り、1702年に王妃として冊封された。それが仁元(イヌォン)王后である。『トンイ』では、オ・ヨンソが演じている。

仁元王后は1687年に生まれた。結婚したときは、粛宗が41歳で仁元王后は15歳だった。年齢差は26歳もあったが、粛宗としては4人目の妻を迎えたので、相手が若すぎるのも仕方がなかった。

そもそも、仁元王后が王妃に選ばれたのは、彼女の実家が少論派だったことも大きかった。当時、重臣たちの権力図は老論派と少論派に二分されていて、両派は激しい闘争を繰り返していた。そんな情勢の中で、粛宗は、死罪になった張禧嬪が産んだ世子のことがとても心配だった。

『トンイ』の仁元王后
オ・ヨンソが演じた仁元王后

景宗を支える後見人

世子に批判的だった老論派が何をしでかすか、まったくわからなかったからだ。そこで、世子を守るためには少論派の家柄から王妃を選択する必要があった。

そのような事情によって仁元王后が王妃になったのである。実際、彼女は王妃になった後、若いにもかかわらず宮中の女性の世界をうまくまとめあげている。

仁元王后は1711年に天然痘にかかってしまって生命が危ぶまれたが、奇跡的に回復して、その後も立派に王妃を務めた。1720年に粛宗が世を去って世子が景宗(キョンジョン)として即位すると、仁元王后も大妃(テビ)として景宗を支える後見人になっていた。

亡くなったのは1757年だ。享年は70歳であった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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