『ヘチ』の超悪役・密豊君の曽祖父は「あの悲劇の世子」なのか

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『ヘチ』は第1話から不可解な殺人が起こったりして、不穏な空気が王宮に漂っているのだが、その張本人になっているのが王族の密豊君(ミルプングン)だ。

この典型的な悪役の密豊君をチョン・ムンソンがいかにも憎たらしく演じているのだが、彼は19代王・粛宗(スクチョン)の子供ではない。

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王族としては傍系の出身であり、重要な地位に就ける立場ではないと思われる。それなのに、当時の官僚を仕切っていた老論派(ノロンパ)に支援されて、力以上に自分を大きく見せることができているのだ。

そんな密豊君が、自分の出自を声高に言うときに語ることが「自分は昭顕(ソヒョン)世子のひ孫である」ということだ。

ここで名前が登場した昭顕世子というのは、朝鮮王朝でも悲劇の世子(セジャ)と言われる人だ。

彼は、朝鮮王朝が大国の清に屈服したとき、世子でありながら清の人質になってしまった。そうやって8年間軟禁された後、ようやく1645年に朝鮮王朝に戻ってくることができた。

それなのに、帰国してわずか2カ月で突然急死してしまった。これはとても謎が多い出来事だった。

『ヘチ』でチョン・ムンソンが演じる密豊君
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毒殺された昭顕世子

有力なのは、清にかぶれて朝鮮王朝の政治を変えようとしたことが父親の仁祖(インジョ)に嫌われて毒殺されたというものだ。

朝鮮王朝の歴史を記した「朝鮮王朝実録」にも、「昭顕世子は毒殺されたように遺体が黒ずんでいた」と書かれている。彼が毒殺されたことは間違いないようだ。

そうであるならば、やはり昭顕世子を嫌っていた仁祖が手を下した可能性が高い。しかも、昭顕世子の妻も仁祖によって死罪になっている。

こうして昭顕世子は歴史から消されてしまったのだが、そのひ孫が密豊君だという。

確かに昭顕世子は大変優秀だったので、子孫である密豊君が先祖である昭顕世子を誇りに思うことは当然だが、『ヘチ』が描いた

1719年の段階で昭顕世子の子孫が力を持っていたというのは考えにくいことだ。

それでも、『ヘチ』の中で密豊君は王位を狙っていくのだが、果たしてドラマの中ではどんな展開になるだろうか。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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