時代劇『トンイ』では、終盤になって粛宗(スクチョン/演者チ・ジニ)の息子同士の後継者争いが描かれていた。候補になっていたのは、張禧嬪(チャン・ヒビン/演者イ・ソヨン)が産んだ世子と、トンイこと淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ/演者ハン・ヒョジュ)が産んだ延礽君(ヨニングン)だ。
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しかし、史実を見ると、さらにもう1人の強力な候補者がいた。それが、側室の榠嬪・朴氏(ミョンビン・パクシ)が産んだ延齢君(ヨンニョングン)で、1699年に生まれている。世子より11歳下であり、延礽君より5歳下だった。
延齢君の幼名は「仁寿(インス)」である。4歳だった1703年に母がこの世を去った。粛宗は、人間が死ぬということが理解できず母をひたすら探して泣く幼い息子を哀れに思い、宮女たちの前で涙を見せていたという。それ以来、粛宗は延齡君のことを特別に可愛がった。
延齢君は頭脳明晰で、成長するにしたがって抜群の才能を発揮するようになった。しかも、大変な孝行息子だった。とにかく礼儀正しかった。粛宗は、延齢君のことを一番頼もしく感じていた。
しかし、延齡君には異母兄が2人いて、常識的に見れば、彼が王位を継ぐ可能性は限りなく低かった。それでも、粛宗の胸の奥には諦めという言葉が存在しなかった。ある日、粛宗は信頼する側近を密かに呼び寄せ、延齡君を新たな世子に据える計画を打ち明けた。
そのうえで、「今の世子(張禧嬪の息子)に代理聴政をやらせ、もし失敗したら廃位にする」という大胆な策を練っていた。まるで政治という盤上で、愛と理性のはざまに揺れる賭けを打とうとしていたのである。
けれど、運命はあまりにも冷酷であった。粛宗の体調が急に悪化し、もはや世子交代を実行する余力は残されていなかった。さらに追い打ちをかけるように、1719年、最も愛していた延齡君が20歳で急逝してしまった。最愛の息子の喪失という痛みを抱えながら、粛宗は翌年の1720年に世を去った。
文=大地 康
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