【トンイの悲劇】生まれてすぐ亡くなった息子たち。三男は記録にもなし

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『トンイ』は制作から10年が過ぎても未だに人気が高い傑作時代劇で、ハン・ヒョジュがヒロインのトンイを明るく快活に演じていた。このトンイという名前はイ・ビョンフン監督が創作したもので、歴史的には淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏と呼ばれた。

彼女は19代王・粛宗(スクチョン)の側室なのだが、生涯で粛宗の息子を3人産んでいる。最初の息子が生まれたのは1693年で、10月6日に誕生して永寿君(ヨンスグン)と名付けられた。

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さぞかし、「長生きするように」と命名された王子であったのだろう。父親の粛宗はとても喜んだと記録に残っている。そうした喜びの様子はドラマ『トンイ』でもしっかりと描かれていた。

しかし、永寿君は名前とは裏腹に、12月13日に早世してしまった。わずか2カ月ちょっとの命であった。粛宗と淑嬪・崔氏の落胆ぶりは想像に難くない。

『トンイ』の主演を務めたハン・ヒョジュ

母親として地獄も同然

その翌年、淑嬪・崔氏は再び身ごもり、9月に粛宗の王子が産んだ。この子はスクスクと育った。すでに張禧嬪(チャン・ヒビン)が粛宗の息子を1688年に産んでいて、その子供が世子(セジャ/国王の正式な後継者)になっていたので、淑嬪・崔氏が産んだ二男が将来的に国王になれる可能性は低かった。

しかし、張禧嬪が産んだ王子が景宗(キョンジョン)として1720年に即位したがわずか4年で亡くなったので、淑嬪・崔氏の子供が1724年に国王になった。それが英祖(ヨンジョ)であり、淑嬪・崔氏は国王の生母になることができた。

さらに、淑嬪・崔氏は3人目の子供を産んだ。こうして1698年7月に粛宗の王子が生まれたのだが、この子はすぐに死んでしまった。名前すら記録に残っていないほどだ。

結局、淑嬪・崔氏は粛宗の息子を3人産んだが、そのうちの2人が生まれてすぐに死んでしまったのである。

英祖のときは淑嬪・崔氏も母親として最高の喜びを味わったが、逆に2人の息子の早世は母親として地獄も同然だった。

我が子を二度も早世させたという意味で、それは間違いなく「トンイの悲劇」と言うことができる。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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