人気時代劇の『トンイ』は、粛宗(スクチョン)の側室だった淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)がモデルになっている。
ハン・ヒョジュが明るくトンイを演じていたので、淑嬪・崔氏もさぞかし公正な女性だったと思われがちなのだが、ドラマと史実はやはり違うようだ。
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特に気になるのが、淑嬪・崔氏が王妃になれなかった理由が不可解なことだ。当時の状況を見てみよう。
1701年、粛宗の正室だった仁顕(イニョン)王后は病気で亡くなってしまった。しかも、王妃から側室に降格していた張禧嬪(チャン・ヒビン)は、仁顕王后に対して呪い殺すための儀式を行なった罪を問われて死罪になってしまった。
朝鮮王朝の国王は、王妃が亡くなるとすぐに再婚しなければならない。王妃の空白は許されないのだ。
このとき、誰もが次の王妃は淑嬪・崔氏だと思っていた。他に適任者がまったくいなかったからだ。しかも、側室から王妃に昇格する例は非常に多く、淑嬪・崔氏には王妃になる資格があった。
しかし、粛宗は淑嬪・崔氏を王妃にしなかっただけでなく、王宮の外に出してしまった。さらにその後は会った形跡がないのである。
なぜ粛宗はここまで淑嬪・崔氏を冷遇したのか。
理由の1つは出自説だ。
淑嬪・崔氏はかつて王宮で水汲みの下働きをしていたと言われており、もともと身分が低すぎたのだ。それゆえ、側室にはなれても王妃は無理だったという説がある。
もう1つは悪女説だ。淑嬪・崔氏は『トンイ』でのイメージとはまったく違って、王宮の裏で暗躍する女性だったと言われている。張禧嬪の死罪にしても、淑嬪・崔氏が陰謀に陥れたという噂も絶えなかった。もしかしたら、淑嬪・崔氏は歴史の闇に隠れた悪女だったかもしれない。
このように、淑嬪・崔氏が王妃になれなかった理由には出自説と悪女説の2つがあるが、可能性としては悪女説のほうが有力に思える。
果たして、淑嬪・崔氏の正体は何だったのか。そこには、『トンイ』とはまったく違う物語がありそうだ。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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