ドラマ『トンイ』のことが5分でわかる!!実際にはどんな人物なのか!!

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人気女優のハン・ヒョジュが演じた『トンイ』のヒロイン。ドラマの中でトンイと呼ばれていたが、この名前は作られたものであり、史実でモデルとなっているのは淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏だ。

彼女は歴史上でどんな女性なのか。簡潔に紹介しよう。

生まれたのは1670年だと推定されている。

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王宮に入ってきた経緯は諸説があり、下働きをする女性だったという説と、仁顕(イニョン)王后と共に王宮に入ってきたという説が残っている。このあたりは、はっきりしない。ただし、身分が低かったというのは間違いないようだ。

淑嬪・崔氏は大変な美貌の持ち主で、粛宗(スクチョン)に寵愛されるようになった。

その背景には、派閥争いが関係していた。

というのは、当時は張禧嬪(チャン・ヒビン)を支持する南人派と仁顕王后を支える西人派が激しく争っていて、西人派が戦略をもって王宮に送り込んだのが淑嬪・崔氏だった。

『トンイ』で淑嬪・崔氏を演じたハン・ヒョジュ

淑嬪・崔氏の働き

なにしろ、1688年に粛宗の長男を産んだ張禧嬪が仁顕王后を廃妃に追い込んで自分が王妃に昇格していた。西人派は没落しかけていて、その起死回生のために粛宗が気に入る女性として淑嬪・崔氏が選ばれたのだ。

そして、彼女は案の定、粛宗に気に入られた。

それに危機感を持ったのが張禧嬪だった。

結局、1694年4月に張禧嬪の兄の張希載(チャン・ヒジェ)が淑嬪・崔氏を毒殺しようとした事件が起こり、張禧嬪は王妃から側室に降格させられた。代わって、仁顕王后が王妃に復帰して、西人派は勢いを取り戻した。このときの淑嬪・崔氏の働きは本当に大きかった。

彼女は、1694年の秋に粛宗の息子を産んだ。

そして、1701年に仁顕王后が亡くなったが、張禧嬪が仁顕王后を呪詛(じゅそ)していたことを報告したのが淑嬪・崔氏であった。そして、張禧嬪は罪に問われて死罪となっている。

王妃の座が空いていたので淑嬪・崔氏が側室から王妃になるかと思われたが、粛宗はそうしなかった。彼は仁元(イヌォン)王后と再婚したのだ。

その後、1718年に淑嬪・崔氏は亡くなった。彼女の息子が21代王の英祖(ヨンジョ)として即位したのは、その6年後だった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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