数多い時代劇の中で息の長い人気を誇る『トンイ』は、歴史の事実と合っている部分と完全なフィクションになっているところがある。そのあたりを比較してみると大変面白い。
ここで取り上げたのは、張禧嬪(チャン・ヒビン)が死罪になる直前の行動について、である。
彼女が亡くなった仁顕(イニョン)王后を呪詛(じゅそ)した罪で死罪になったのは1701年10月のことだった。
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その直前、張禧嬪は13歳になっていた世子の我が子に一目会いたい、と粛宗(スクチョン)に願い出た。
当初は粛宗も張禧嬪の願いを断っていたのだが、彼女があまりに懇願したので、最後には一目だけ会わせてあげることにした。粛宗もかつて寵愛した張禧嬪にせめてもの温情を見せたのである。
それが歴史上の事実だ。
一方、『トンイ』では、どのように描かれていただろうか。
やはり張禧嬪は粛宗に対して、我が子に会いたいと懇願する。しかし、チ・ジニが演じた粛宗は最後まで張禧嬪の願いを許さなかった。このときばかりは彼も頑固であった。
落胆した張禧嬪だったが、彼女のすぐ近くにハン・ヒョジュが演じたトンイ(歴史的には淑嬪・崔氏〔スクピン・チェシ〕)が様子をうかがっている光景が見えた。
それに気が付いた張禧嬪は、トンイに近づいてすがりついた。
そして、こう言った。
「世子を守ってくれるのは、あなたしかいない。私があれほど恨んだあなただけなのよ」
このように頼み込んでも、トンイが顔をそむけてしまった。
すると、張禧嬪はさらに激しく哀願した。
「私の最後のお願い……どうか世子だけは守って!」
本当に張禧嬪は必死だった。
あれほどいじめたトンイに屈辱的に懇願したのも、張禧嬪にすればすべて我が子を最後まで守りたいためだった。
このあたりは、本当にドラマチックな場面であった。
史実では死罪の直前に我が子に会えた張禧嬪であったが、『トンイ』ではさらにドラマチックにするために、張禧嬪があえてトンイにすがりつくような場面にしていた。
それゆえ、この場面は『トンイ』の中でも忘れられないほど印象的なシーンになった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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