人気時代劇の『トンイ』では、イ・ソヨンが張禧嬪(チャン・ヒビン)を演じていた。
イ・ソヨンは割と感情を抑えながら希代の悪女を理知的に演じようとしていたが、それでも悪女の横暴さは随所に現れていた。その一つは、張禧嬪が王妃に昇格していくところだ。実際に起こった出来事を再現してみよう。
19代王・粛宗(スクチョン)の側室だった張禧嬪は、1688年に粛宗の長男を出産した。それによって、立場が極端に悪くなったのが、子供を産めなかった仁顕(イニョン)王后だった。
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1689年、粛宗は重臣たちを前にして、「王妃は妬みが強いし、余をだまそうとした。これ以上、余はいったい何ができるというのか」と語り、仁顕王后の廃妃を決めた。
途端に多くの反対意見が続出した。しかし、粛宗は従わない高官たちを処罰し、この決定を押し通した。
その結果、仁顕王后は庶民に格下げとなり、すぐさま実家に帰された。
こうして王妃の座が空席となった。
再び公式会議が開かれ、粛宗は領議政(ヨンイジョン/総理大臣のこと)の権大運(クォン・デウン)にこう告げた。
「今は王妃がいない。異常事態だ。早く新しい王妃を決めなければならない」
権大運が困惑していると、粛宗はすかさず言った。
「張禧嬪は徳を積み、王妃になるのにふさわしい。規則に従って、すぐに実行せよ」
これに対して、権大運が慎重論を述べた。
「重大なことですから、もっと慎重にお考えになったほうがよろしいのではないでしょうか」
すると、粛宗が急に怒りだした。それでも、高官たちは反論した。もっと時間をかけて新しい王妃を決めるべきだと主張したのだ。
しかし、粛宗は高官たちの言うことを聞かなかった。
「王妃を決めるのに、まさに今日が吉日だ」
粛宗がそう一方的に宣言して、張禧嬪の王妃昇格が決まった。
こうして張禧嬪は王朝で最高位の女性となった。
途端に彼女は贅沢(ぜいたく)な暮らしに溺れるようになった。
そのあまりの横暴さが、結局は自らの身を滅ぼすことになってしまったのだ。
まさに自業自得と言えるだろう。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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