【朝鮮王朝の闇】張禧嬪が悪女でなかったら歴史はどう変わっていたか

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朝鮮王朝を舞台にした時代劇を見ている人は本当に多い。そういう人に、「悪女として真っ先に思い浮かぶ女性は?」という質問をしたら、圧倒的に「張禧嬪(チャン・ヒビン)」の名前が挙がるだろう。彼女はまさに、朝鮮王朝の悪女の代名詞のようになっている。

しかし、「朝鮮王朝実録」という正式な歴史書を読んでも、張禧嬪が本当に悪女であった証明はない。それどころか、「大変な美人であった」という記述が何回かあり、歴史書の上でも張禧嬪が絶世の美女であったことが裏付けられている。

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それなのに、張禧嬪はなぜ典型的な悪女に見られてしまったのか。

それは、仁顕(イニョン)王后が亡くなったときの話が張禧嬪にあまりに不利だったからだ。

具体的に説明しよう。

時代劇『トンイ』でイ・ソヨンが演じた張嬉嬪

真相は闇の中

19代王の粛宗(スクチョン)の妻であった仁顕王后は1701年に世を去ってしまったが、そのときに粛宗の側室であった淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)から告発があった。

その告発は「張禧嬪が呪詛(じゅそ)を行なっていた」というものだった。

それを真に受けた粛宗は張禧嬪に死罪を言い渡したが、これには不可解なことがあった。というのは、仁顕王后は当時寝たきりの状態であり、もはや命が短かった。それなのに、あえて張禧嬪が仁顕王后を呪い殺そうとするだろうか。

むしろ、淑嬪・崔氏の告発のほうが本当に真実だったのかどうか。

彼女はドラマ『トンイ』の主人公として知られるが、史実の彼女はいろいろと裏があり、ドラマでハン・ヒョジュが演じたような明るく正直な女性ではなかったと言われている。

それだけに、告発の信憑性が疑わしいところだ。

結局、張禧嬪がいくら「呪詛をしていません」と弁明しても、それは信用されず、彼女は死罪になってしまった。当時の呪詛は大罪だったからだ。

そして、張禧嬪の悪女説はあまりに有名になってしまい、韓国の時代劇でも張禧嬪は悪く言われる一方であった。

しかし、本当に真実を知っているのは、むしろ淑嬪・崔氏のほうかもしれない。もし彼女の告発が偽りであれば、張禧嬪は無実の罪を着せられたことになる。

「朝鮮王朝実録」の記述を読むかぎり、張禧嬪は悪女でないと思えるのだが。

残念ながら、真相は闇の中である。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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