韓国史で「最も美しかった王女」と「一番金持ちだった王女」は誰なのか

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朝鮮王朝には特に名前が知られた王女がたくさんいたが、その中で一番有名だったのは「最も美しかった王女」と「一番金持ちだった王女」である。

それは誰のことだろうか。順に見ていこう。

「最も美しかった王女」と呼ばれたのは敬恵(キョンヘ)王女だ。彼女は5代王・文宗(ムンジョン)の長女で、6代王・端宗(タンジョン)の姉だ。とにかく伝説になるほど美しかったという。

それほどの美貌に恵まれたのだが、人生は不幸が続いた。

最初は文宗の娘として幸せに暮らしたのだが、弟の端宗が王になってからは涙なくしては人生を語れなかった。

なにしろ、端宗は1455年に叔父に王位を奪われて後には死罪になっている。その影響は敬恵王女にも及び、叔父の世祖(セジョ)によって奴婢(ぬひ)にまで没落した。それでも彼女は自尊心を守り、「私は王女です」と自分を律して屈辱に負けなかった。

しかし、晩年には幸せが訪れた。世祖に許されて息子が官職に就くことができたし、娘は良家に嫁に行った。

彼女の人生は苦しみの連続だったが、最後は美貌にふさわしい名声を取り戻すことができた。この敬恵王女については、『王女の男』でホン・スヒョンが美しく演じていた。

『王女の男』で敬恵王女を演じたホン・スヒョン

次は「一番金持ちだった王女」について。

これは文句なしに貞明(チョンミョン)公主である。彼女は14代王・宣祖(ソンジョ)の二番目の正室であった仁穆(インモク)王后の長女だ。

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彼女の人生も最初はどん底だった。宣祖の王位を1608年に継いだ光海君(クァンヘグン)に疎まれて、母と一緒に離宮に幽閉された。

その際には、弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)は島流しにされて後に殺害されている。こういう悲劇の中で、貞明公主は母と共に耐え忍んだ。

1623年に朗報がもたらされた。光海君が王宮を追放されて新しく仁祖(インジョ)が即位した。

仁祖はクーデターを起こすときに仁穆王后に号令をかけてもらったので、王になった後も仁穆王后に借りを返さなければならなかった。その際に、貞明公主に莫大な土地を与えたのである。

これによって、貞明公主は王族の中で一番の地主と呼ばれるようになった。その土地のおかげで子孫がずっと潤ったという。

この貞明公主は、時代劇の『華政(ファジョン)』の主人公になっている。

『華政』で貞明公主を演じたイ・ヨニ

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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