【韓ドラになった歴史人】『階伯(ケベク)』の百済の勇将「階伯」は劣勢の中で勇敢に戦った

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傑作『イ・サン』などで時代劇と縁が深いイ・ソジンが、2011年に主演したのが『階伯(ケベク)』だった。このドラマでイ・ソジンが演じた階伯(ケベク/?~660年)とは、史実でどんな将軍だったのだろうか。

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時は660年。百済(ペクチェ)の空には暗雲が垂れ込めていた。新羅(シルラ)と唐の連合軍が怒涛のごとく押し寄せ、その兵力はまさに圧倒的であった。31代王・義慈王(ウィジャワン)は、ひとりの男に最後の希望を託した。百済が誇る勇将の階伯である。王は彼を呼び寄せ、「かならず都を守ってくれ」と切実な声で告げた。

階伯はその時、すでに己の運命を悟っていた。勇猛でありながら冷静な思考を併せ持つ彼は、ただの武人ではなく、戦場を見通す知略の持ち主であった。出陣を前に、彼はひととき家へ戻った。そこで待っていたのは、最も苦しい決断であった。

階伯は家族を前に静かに語った。「新羅の大軍と決戦を交える。もし我らが敗れれば、おまえたちは奴隷となり、辱めを受けることになる。それならば、俺の手で安らかに送ってやるほうがいい」と。

そして、涙をこらえながら、己の手で愛する妻と子の命を絶った。その時、彼の胸には血の雨が降っていたであろう。

『階伯(ケベク)』
画像=MBC

勝ち目のない戦に挑んだ将軍

最も大切な人たちを失った階伯に、もはや恐れるものはなかった。彼は5千の兵を率い、5万の敵軍の前に立ちはだかった。数では初めから勝ち目などなかったが、彼の言葉が兵たちの魂を揺さぶった。

「その昔、越の王は5千人で呉の70万を破った。我らも命をかければ、必ずや勝てるはずだ」

その檄に応え、百済軍は奮い立った。階伯の巧みな戦略のもと、彼らは4度にわたり局地戦で勝利を収めた。しかし、戦いが長引く中で、兵力差の現実がじわじわと重くのしかかる。戦況は次第に不利となり、ついに階伯は最前線で命を落とした。その死を境に、百済軍は全滅し、都・扶余(プヨ)も炎に包まれて陥落した。

義慈王をはじめ多くの百済人が捕虜として唐に連行された。国が滅ぶというのは、こうした惨禍の連なりに他ならない。しかし、勝ち目のない戦に挑んで勇敢に散った階伯の姿は、今も静かに語り継がれている。

【階伯(ケベク)の人物データ】

生没年
?年~600年

主な登場作品()内は演じている俳優
『階伯』(イ・ソジン)

文=大地 康

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