朝鮮半島の歴史上、最大の領土を築いたのが広開土大王(クァンゲトデワン)である。時代劇では『太王四神記』(2007年)でペ・ヨンジュンが広開土大王を華麗に演じ、30%以上の視聴率をあげるほど大ヒットしている。さらに『広開土太王』(2011年~2012年)では、イ・テゴンが広開土大王を演じていた。
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広開土大王という名前は諡(おくりな/死後の尊号)であり、もともとの名は「談徳(タムドク)」という。391年、17歳のときに高句麗(コグリョ)の19代王となった。
広開土大王は、軍事の才に恵まれた英傑であった。戦場においては冷徹に状況を見抜き、常に相手の一歩先を読む戦術の妙に長けていた。そして、その指揮ぶりは見事であり、兵たちは迷いなく従った。
彼が最初に掲げた誓いは、「百済(ペクチェ)打倒」であった。当時、高句麗と百済は火花を散らすような激しい攻防を繰り返していたが、広開土大王には、ただの領土争いを超えた個人的な因縁があった。
それは、祖父である16代王・故国原王(コググォンワン)が371年、百済との戦いで落命したことに始まる。愛する祖父の無念を晴らすという思いが、若き王の胸を貫いていたのである。そして、広開土大王は執拗に百済を攻めて屈服させた。執念と誇りが結晶となった瞬間であった。
広開土大王は、力に任せて突撃するばかりではなく、敵国を包囲するように周辺の国々と手を結ぶ外交戦術も繰り出した。まさに、勇猛さに知恵が伴った稀有な統治者だった。
さらに広開土大王は、文化面でも功績が大きかった。歴史書『三国史記』には「(広開土大王は393年に)平壌に9つの寺を創建した」と記されている。この記録が示すように、彼は仏教に深い理解と敬意を抱いていた。戦乱のさなかであっても、人々の心の平穏を願い、静かに祈る場を築いたのだ。
そんな英雄にも、ただひとつ抗えなかったものがあった。それは「死」である。413年、39歳というあまりにも短い人生の幕を閉じた。
結局、広開土大王は野望と慈悲を両立させた王であった。彼の人生は、一陣の風のように駆け抜け、その足跡は今なお深く歴史に刻まれている。
【広開土大王(クァンゲトデワン)の人物データ】
生没年
374年~413年
主な登場作品()内は演じている俳優
『太王四神記』(ペ・ヨンジュン)
『広開土太王』(イ・テゴン)
文=大地 康
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