NHK・BSプレミアムで毎週日曜日に『王女ピョンガン 月が浮かぶ川』が快調に放送されているが、やはり古代を扱った時代劇は歴史的なスケールが大きい。朝鮮王朝が得意とする宮廷劇とはひと味違った壮大な展開が楽しめる。そこがとても面白いところだ。
そんな『王女ピョンガン 月が浮かぶ川』は、三国時代の高句麗(コグリョ)を舞台にしている。ドラマをより深く理解するために、高句麗という国について解説しよう。
朝鮮半島には様々な建国伝説があるが、考古学的に国の実在が立証されているのは紀元前194年に建国された衛満朝鮮(ウィマンチョソン)からだ。
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その衛満朝鮮は紀元前108年に滅亡してしまい、以後は戦乱が激しくなった。その末に強い国になっていったのが、紀元前57年に作られた新羅(シルラ)、紀元前37年に建国された高句麗、紀元前18年に誕生した百済(ペクチェ)である。
こうして朝鮮半島の南東部に新羅、南西部に百済、北部に高句麗の三国が鼎立し、三国時代が形成されるようになった。
この三国が激しく領土争いを繰り返したが、高句麗の19代王であった広開土大王(クァンゲトデワン/在位391-413年)が巧みな戦略で領土を飛躍的に拡大した。それによって高句麗は三国時代の中でも一番力がある強国になった。
そうした高句麗で25代王になったのが平原王(ピョンウォンワン/在位559-590年)である。この王は平岡王(ピョンガンワン)とも呼ばれ、『王女ピョンガン 月が浮かぶ川』に登場する。
ドラマでは情けない小心者として描かれているが、歴史書『三国史記』には「胆力があり、馬上で弓を射るのが巧みだった」と書かれている。
この記述を見ると、国王は小心者どころかむしろしっかり者であり弓の達人であった。このあたりが、ドラマと史実との違いであった。
以後も、高句麗は三国時代の強国として君臨し、中国大陸を支配した唐の大軍の攻撃にも負けなかったが、7世紀中盤以降に内紛が起こって弱体化して、668年に新羅・唐の連合軍に敗れて滅亡してしまった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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