三国時代の国家はどのように形成されていったのか/古代の歴史

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朝鮮半島で最初の国家は「檀君(タングン)朝鮮(チョソン)」と言われている。しかし、考古学的にこの国の存在は立証されていない。あくまでも神話の世界の話だ。「檀君朝鮮」のあとにも、朝鮮半島には「箕子(キジャ)朝鮮」と「衛満(ウィマン)朝鮮」が続いたとされる。2つの国家の中で、考古学的に存在が確認されているのは「衛満朝鮮」だけだ。

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古代の国家はどのように始まったのか

歴史的に存在が立証されている国家は「衛満朝鮮」が朝鮮半島で最初だが、「衛満朝鮮」は、紀元前194年から紀元前108年まで存在したと推定されている。衛満とは燕(古代中国にあった国の1つ)から亡命してきて朝鮮半島北部を支配した人物のことだ。

衛満は領土的野心が強く、自らの支配地を広げようとして漢の武帝の逆鱗に触れ、結局は漢によって滅ぼされてしまった。その後、漢は衛満朝鮮の領土に楽浪郡など四つの郡を置いて直轄地にした。

その一方で、朝鮮半島の北部には扶余(プヨ)が部族国家として力を伸ばし、その同系から高句麗(コグリョ)が紀元前37年に建国されていった。

また、朝鮮半島の中央部から南部に至る地域には、馬韓(マハン)、弁韓(ピョナン)、辰韓(チナン)といった部族国家が存在していた。いわゆる三韓時代である。

古代の朝鮮半島の勢力図
古代の朝鮮半島の勢力図

そうした中で、強大化した部族が中心になって国家の再編成が行われるようになり、馬韓から発展して百済(ペクチェ)が紀元前18年に誕生し、辰韓が徐々に勢力を増してやがて紀元前57年に新羅(シルラ)に変わっていった。また、弁韓でも再編成が行われて伽耶(カヤ)が生まれた。

このようにして、徐々に朝鮮半島での勢力図が明確になってきた。農業用地を広げたり鉄器の製造に成功したりして著しく勢力を伸ばした国家が生き残ったのである。

時代が紀元後になってから、朝鮮半島北部から中国東北部にかけて高句麗、朝鮮半島の南東部に新羅、朝鮮半島の南西部に百済が一定の領土を確保するようになった。また、新羅と百済にはさまれた形で存続した伽耶は、小さい連合国家ながら当初は三国に対抗できる力を備えていた。

作成=康 熙奉(カン・ヒボン)

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