人気時代劇の『トンイ』と『イ・サン』が描いている時代を年表で見てみよう。
『トンイ』の舞台は粛宗(スクチョン)の統治時代であり、当時は官僚たちによる派閥闘争が激しかった。その中で、粛宗は王権を強化することに成功したが、王宮で女性問題を度々起こしている。
そんな粛宗の治世が1720年に終わり、以後は景宗(キョンジョン)、英祖(ヨンジョ)、正祖(チョンジョ)が順に国王を引き継いでいった。
【関連】日本が知らない韓ドラ時代劇25年史『イ・サン』と『トンイ』
1659年 張禧嬪(チャン・ヒビン)が生まれる。
1661年 18代王・顕宗(ヒョンジョン)の長男として粛宗(スクチョン)が誕生。
1670年 『トンイ』のモデルになった淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏が生まれる。
1674年 13歳で粛宗が19代王として即位する。
1680年 粛宗の最初の正妻だった仁敬(インギョン)王后が亡くなる。
1681年 仁顕(イニョン)王后が粛宗の継妃となる。
1683年 粛宗の母・明聖(ミョンソン)王后が亡くなる。
1686年 張禧嬪が正式に側室となる。
1688年 張禧嬪が王子を出産。のちの20代王・景宗(キョンジョン)である。
1689年 仁顕王后が4月に廃妃となり、5月に張禧嬪が王妃に昇格する。
1694年 4月に仁顕王后が王妃に復帰し、それにともなって張禧嬪が王妃から降格する。
1694年 9月に淑嬪・崔氏が王子を産む。後の21代王・英祖(ヨンジョ)である。
1701年 8月に仁顕王后が亡くなり、10月に張禧嬪が死罪となる。
1718年 淑嬪・崔氏が3月に亡くなる。
1720年 6月28日に粛宗が亡くなる。その後、景宗が即位する。
1722年 3月に老論(ノロン)派が謀反を疑われて60人以上が死罪となる。
1724年 8月25日に景宗が亡くなり、21代王・英祖が即位する。
1735年 英祖の側室の映嬪(ヨンビン)・李(イ)氏が思悼世子(サドセジャ)を産む。
1745年 貞純(チョンスン)王后が生まれる。
1752年 イ・サンこと正祖(チョンジョ)が生まれる。
1757年 英祖の最初の正妻だった貞聖(チョンソン)王后が亡くなる。
1759年 貞純王后が英祖の継妃となる。
1762年 英祖が思悼世子を米びつに閉じ込める。思悼世子が餓死する。
1764年 思悼世子の生母である映嬪・李氏が亡くなる。
1776年 英祖が3月5日に亡くなり、22代王・正祖が3月10日に即位する。
1780年 正祖の側近の洪国栄(ホン・グギョン)が王妃殺害を企てた罪で地方に追放される。
1777年 正祖の命を狙う暗殺団が7月に王宮に侵入する。
1789年 正祖は楊州(ヤンジュ)にあった思悼世子の陵墓を水原(スウォン)に移す。
1790年 正祖の長男が生まれる。後の純祖(スンジョ)である。
1794年 2月から水原で華城(ファソン)の建設が始まる。
1794年 8月に華城が完成する。
1800年 6月28日に正祖が亡くなり純祖が即位。実際の政治は貞純王后が取り仕切る。
1805年 貞純王后が亡くなる。
1821年 正祖の正妻だった孝懿(ヒョイ)王后が亡くなる。
作成=康 熙奉(カン・ヒボン)
■【関連】イ・ソジンが『イ・サン』の主人公に起用されたホントウの理由
前へ
次へ