【トンイの出世争い】トンイはどのようにして側室の最高位に上がったのか

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『トンイ』という人気時代劇を見ていると、ハン・ヒョジュが演じた主人公トンイは、私利私欲がなく純粋な女性として描かれていた。それゆえ、トンイのモデルになった淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)も、性格のいい女性と思われがちだった。

しかし、淑嬪・崔氏も人間の憎悪が渦巻く王宮で命を張ってきた女性である。ドラマのように清廉潔白ではいられなかったことだろう。

そんな彼女は、終生のライバルだった張禧嬪(チャン・ヒビン)に勝つためには、自分の立場を強化しなければならなかった。具体的に言うと、側室としての肩書を上げていく必要があったのだ。その際の経緯を見てみよう。

淑嬪・崔氏は1693年に粛宗の息子を産んでいるが、その王子は生後2カ月ほどで亡くなってしまった。淑嬪・崔氏の悲しみがとても深かったが、翌年再び身ごもった。そして、生まれたのが、後に英祖(ヨンジョ)となる王子だった。

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この王子はすくすく育っていったが、当時の淑嬪・崔氏の品階は側室として三番目に上位の正二品の昭儀(ソウィ)だった。一方の張禧嬪は1694年に王妃から側室に降格していたが、肩書は側室最高峰の正一品の嬪(ピン)であった。嬪と昭儀では格が二つ違うので、淑嬪・崔氏が張禧嬪と対等に勝負するのは難しかった。なんとしても、淑嬪・崔氏は肩書を上げなければならなかった。

『トンイ』で淑嬪・崔氏を演じたハン・ヒョジュ

張禧嬪と同等の肩書

1695年、淑嬪・崔氏は王子を産んだ功績によって従一品の貴人(クィイン)に昇格した。これで、張禧嬪との肩書の差は格一つになった。

この頃から、淑嬪・崔氏と張禧嬪との勢力争いが本当に激しくなった。特に、危機感を感じた張禧嬪は、配下の女官に命じて、ひんぱんに淑嬪・崔氏を監視したという。

張禧嬪にしてみれば、「自分の地位が脅かされる」という恐怖感が強かったのだろう。それは、淑嬪・崔氏も同じだった。彼女はライバルによってつぶされないためにも、品階を上げることを切に願った。そのためには、さらに王子を産むことが最善だった。

その待望の男子は1698年7月に生まれた。淑嬪・崔氏も最高の喜びを味わったのだが、その感激は短く、次に奈落の底に突き落とされた。生まれたばかりの王子が早世してしまったのだ。

望みをなくしてしまった淑嬪・崔氏だったが、翌年になって思わぬ朗報がもたらされた。5歳になっていた我が子が延礽君(ヨニングン)として冊封されたのである。それにともなって、淑嬪・崔氏も側室最高位の嬪に昇格した。

こうして、淑嬪・崔氏は肩書の上で張禧嬪と同等になった。こうなると強い。淑嬪・崔氏は堂々と張禧嬪と渡り合うようになった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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