『ヘチ 王座への道』(全24話)の終盤で大きく取りあげられたのが、コ・ジュウォンが演じるイ・インジャ(李麟佐)だった。
彼は密豊君(ミルプングン)を新たな国王に擁立するという大義名分を掲げて反乱を起こした。世にいう「イ・インジャの乱」である。
イ・インジャは1728年に清州(チョンジュ)の城を攻め落として反乱の序盤で成功した。その後はさらに兵を増やして、都への進軍を開始した。
当初は勢いが良かった反乱軍だが、態勢を整えた官軍が的確な戦略でイ・インジャの進軍を食い止めて、最終的に反乱は失敗に終わった。
イ・インジャは生け捕りにされたうえに、最後に処刑された。こうして「イ・インジャの乱」は平定され、反乱軍に国王に擁立された密豊君も1729年に死罪となってしまった。
最大の危機を脱した英祖(ヨンジョ)。安定した政治を行なうために力を注いだのが蕩平策(タンピョンチェク)であった。
これは、対立する派閥の垣根を越えて公平に人材を登用する政策だ。
それ以前の王朝は、特定の派閥の偏向した人材登用が当たり前だった。その結果、抗争に敗れた派閥は政権から追放されてしまった。しかし、「イ・インジャの乱」はそうした派閥抗争の弊害が招いた反乱であった。
その事実に着目した英祖は、「二度と大規模な反乱を起こさせない」と肝に銘じ、そのためには公平な人事で派閥闘争を終わらせることが必要だと痛感していた。
ただし、政権の要職を占めていた老論派が英祖の改革に大反対した。自分たちの既得権益が奪われるからである。
それだけに、蕩平策の実施は困難だと思われたのだが、英祖は決して諦めなかった。彼は粘り強く老論派の重臣を説得し、蕩平策の実施に並々ならぬ熱意を向けた。
こうした英祖の取り組みが徐々に高官たちの心を動かし、最終的に蕩平策が成果を見せるようになった。
英祖の治世は52年という長期に及んだが、彼の政治的な功績のトップに挙げられるのが蕩平策であった。人事の公平性が保たれ、官僚の能力が大いに発揮されるようになったからだ。
そういう点でも、英祖は傑出した名君であった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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