チョン・イルが主演した『ヘチ 王座への道』は終盤を迎えると、世弟(セジェ)が景宗(キョンジョン)の崩御を受けて即位する。いよいよ世弟は21代王の英祖(ヨンジョ)になっていくのだ。
それは念願の王座であった。
同時に、前途多難なことが多く、高官たちの間では「世弟は国王になる資格があるのか」という論議が活発になった。このように、英祖は苦しい船出を余儀なくされたのである。
それでも、英祖は亡くなった景宗に託された「民衆のための政治」を徹底的に行なうことを決意する。そういう覚悟をチョン・イルが精悍な姿で演じていた。
一方、史実で英祖は即位後にどのような政治を行なったのだろうか。果たして、ドラマが描くような「民衆のための政治」が実現できたのか。改めて歴史を振り返ってみよう。
1724年に即位した英祖が特に力を入れたのが、官僚たちの公平な人事だった。当時は、派閥争いが激化していたが、英祖はコネによる人事の悪用を認めず、常に人材登用を公平に行なおうとした。
実際、彼は各派閥から能力優先で人材を抜擢した。この人事が成功して、官僚の行政力が飛躍的に高まったと言われている。その結果、恩恵を受けたのが民衆であった。人々は生活のための政策を以前より広く受けることができるようになった。
さらに、英祖が即位後に始めたのが、刑罰の改善だった。
従来から、「重い石を罪人の膝に過重に載せて骨をつぶす」という過酷な刑罰が横行していた。これを英祖はやめさせている。
そういう意味で、当時として英祖は人権を重んじる国王であった。
また、英祖は後には、入れ墨を罪人の顔に刻むという刑罰も廃止した。さらには、容疑者が国王に対して直接無罪を主張できる制度も導入している。
このように、刑法を整備して刑罰の軽減に努めたのが英祖の大きな功績であった。
彼は朝鮮王朝後期の名君と称されているが、それは歴史が証明したとおりであった。在位は52年に及んだが、民衆にとっては英祖の統治が長く続いたことが幸いであった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
■【写真】身分を越えた恋心を表現した『ヘチ』の主人公カップル
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