朝鮮王朝の27人の国王の中で、最悪の暴君は10代王・燕山君(ヨンサングン)だ。このことは、歴史に詳しくない人の間でも知れ渡っている。それほど悪名が高いのだ。
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それでは、どのようなワルだったのだろうか。朝鮮王朝の国王の言動を詳細に記した歴史書“朝鮮王朝実録”では、燕山君についてこう記している。
「嫉妬深くて曲がった性格であり、知恵も浅かった。子供の頃から優秀な教師がそばについて教えたが、物事の理解力が足りなかった」
「父親の成宗(ソンジョン)は、“勉学にまったく励まないで、常に愚かなままなのは、果たしてなぜなのか”と世子(燕山君)をよく叱っていた。そうすると、世子が成宗に会うのを避けるようになった。呼ばれたとしても、からだがとても痛いと言い訳をして、無視して行かないことがよくあった。あるとき、成宗の側近が様子を見に行くと、世子は“もしも病気でないと告げ口をしたら、お前をいつか殺してやるからな”と恫喝する有様だった」
「成宗は世子を廃したいという気持ちが強かったが、長男だったのでそれができなかった。また、世子がまだ幼かったことを哀れに思い、廃することができなかった」
こうした記述をみると、燕山君の能力について“朝鮮王朝実録”はとても辛辣に書いている。ここまで書いていいのか、と思えるほどだ。実際に記録を担当していた史官も、正直にありのままを記したのであろう。
結局、成宗の後を継いで1494年に燕山君が10代王として即位している。彼は、当初こそおとなしく行動していたが、時間が経つにつれて奇行を見せるようになった。宮廷にいた鹿を撃ち殺して肉を食べてしまったり、女たちを集めて酒池肉林の日々を送ったりしていた。そして、統治能力も劣っていた。
やはり、父親の成宗が息子の燕山君を世子にするべきではなかった。それは間違いのないことだ。後継者選びの失敗が、後の虐殺事件を引き起こしてしまったのである。
文=大地 康
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