朝鮮王朝の黒歴史を振り返ってみると、2人の最悪な国王に行き着く。最初に取り上げるのは、燕山君(ヨンサングン/1476~1506年)だ。
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父は朝鮮王朝第9代王・成宗(ソンジョン)で、母は朝鮮王朝で最初に廃妃となった尹氏(ユンシ)であった。幼いころから燕山君の性格は荒々しく、王位に就いてからは側室の張緑水(チャン・ノクス)と共に放埒な生活に溺れ、国家財政を破綻させた。
燕山君の残虐さは筆舌に尽くしがたく、彼の命令で無惨に命を散らした家臣たちも少なくなかった。その冷酷さと無慈悲さは、やがて家臣たちの心に暗い影を落とし、ついに1506年、彼らが一斉に立ち上がった。クーデターによって燕山君は廃位されて、流罪先でその波乱に満ちた生涯を閉じた。今や、彼の名は暴君の代名詞として語り継がれている。
そして、もう1人の最悪な国王というのは仁祖(インジョ/1595~1649年)である。
王子時代には綾陽君(ヌンヤングン)と呼ばれていた彼だが、弟を殺されたことで光海君(クァンヘグン)に激しい憎しみを抱き、1623年にはクーデターを成功させて16代王の座を手にした。
しかし、即位後の仁祖は、まるで迷路に迷い込んだかのように政策の失敗を重ね続けた。特に外交では判断を誤り、1637年には清に完全に屈服するという悲劇を招いた。清の皇帝の前で屈辱的に土下座をして謝罪する姿は、まさに王朝史上最大の汚点であった。
それだけでは終わらない。仁祖はさらに「情けない国王」として歴史に名を刻むこととなった。彼はひどい悪女を側室に迎え、長男である昭顕(ソヒョン)世子を毒殺するという、愚かで取り返しのつかない過ちを犯してしまった。
燕山君と仁祖……2人の国王の物語は、朝鮮王朝に深い傷を残している。暴君と呼ばれた者、情けない国王として嘲笑された者、どちらも権力を持ちながら、その力を正しく使うことができなかった。そういう意味で、2人の存在そのものが「朝鮮王朝の恥ずべき黒歴史」と言える。
文=大地 康
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