『恋人』歴史解説・ドラマが描いた仁祖と昭顕世子の確執はなぜ起こったのか

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歴史巨編『恋人~あの日聞いた花の咲く音~』は、主人公のイ・ジャンヒョン(ナムグン・ミン)とヒロインのユ・ギルチェ(アン・ウンジン)の戦時下の壮絶な別れと愛を描いている。

それと同時に取り上げられたのが、キム・ジョンテが演じる朝鮮王朝・第16代王の仁祖(インジョ)とキム・ムジュンが扮する昭顕(ソヒョン)世子の複雑な親子関係だった。

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清の人質となった昭顕世子は、なぜ悲劇的な最期を迎えなければならなかったのか。史実で起こった出来事を時間に沿って解説しよう。

1637年1月、仁祖(インジョ)は漢江(ハンガン)のほとりで、清の皇帝に対して額を地面にこすりつけて謝罪した。朝鮮王朝で最も屈辱的な瞬間だったが、それだけでは済まなかった。莫大な賠償金を課されたうえに、仁祖の息子たちが人質として清に連行されていった。

『恋人』ではキム・ジョンテが仁祖を演じた。

仁祖は慟哭して彼らを見送った。それから、長男の昭顕世子とその妻・姜氏(カンシ)の夫婦は人質として清の瀋陽(しんよう)で暮らした。2人は軟禁生活を強いられていたが、朝鮮王朝の世子夫婦として相応に遇された。清で見聞した先進の文明が2人に新しい世界観をもたらした。

ところが、昭顕世子と姜氏の暮らし方が、母国で歪められて伝えられた。「こともあろうに、清にかぶれてしまった」というわけだ。仁祖は相変わらず清を憎み続けており、仕返しをしたいと狙っていた。結果的に、仁祖と世子夫婦の対立が決定的になってしまった。

「清が昭顕世子の力量を高く評価して国王の交代を望んでいる」。そういう話も伝わってきて、仁祖は猜疑心を強く持つようになった。

1645年2月、人質生活を終えて昭顕世子が母国に帰ってきた。しかし、迎える仁祖は不機嫌だった。かつて息子を慟哭して見送ったときとすっかり事情が変わっていた。

チ・スンヒョン演じる武官ク・ウォルム。劇中では当時の朝鮮王朝の朝廷内の軋轢も描かれていた。

父と対面した昭顕世子が「朝鮮王朝も清を見習って改革すべきです」と力説すると、激怒した仁祖が昭顕世子に向かって硯(すずり)を投げつけた。8年ぶりの親子対面は最悪の事態となった。

青天の霹靂(へきれき)だった。帰国して2カ月が過ぎた4月に昭顕世子が高熱を発して急死したのだ。仁祖による毒殺が強く疑われている。

仁祖は悲しむどころか、昭顕世子の葬儀を冷遇した。世子として国王に準じた格式で行うべきなのに、実際の葬儀は格下の扱いで服喪期間も短縮された。この事実が、仁祖の関与を物語っていた。

姜氏も無事ではなかった。1646年1月に、仁祖の御膳にあがったアワビに毒が盛られていることが発覚した。疑われたのが姜氏だった。

彼女は容疑者にされてしまい、3月に自害せざるをえなくなった。同時に、姜氏の実家の人々も処刑され、息子3人は済州島(チェジュド)に流罪となった。そのうちの2人が、不可解な形で絶命している。

こうして昭顕世子の一家は仁祖によって滅ぼされた。仁祖の後を継いだのは、父と同じように清を憎んでいた二男であり、彼が1649年に16代王・孝宗(ヒョジョン)として即位した。

以上が仁祖と昭顕世子夫婦の確執の全体像だが、『恋人~あの日聞いた花の咲く音~』を見ていても、仁祖の強い猜疑心を感じ取ることができる。

長男夫婦を滅亡させた彼は、本来なら国王になってはいけない不適格な人物だった。その統治時代に清と戦わなければならなかったことが、朝鮮王朝の最大の不幸だったかもしれない。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

◆作品情報
『恋人~あの日聞いた花の咲く音~』

2024年7月3日(水)発売 DVD-SET1、
2024年8月2日(金)発売 DVD-SET2
2024年9月4日(水)発売 DVD-SET3
各14,740円(税抜13,400円)
※レンタルDVD同時リリース
発売・販売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント ©2023MBC
☆2024年7月3日(水)よりU-NEXTにて独占先行配信中

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