【韓ドラになった歴史人】15代王として即位した光海君はなぜ暴君と言われたのか

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朝鮮王朝第15代王・光海君(クァンヘグン)といえば、『王の顔』『華政(ファジョン)』『王になった男』『ノクドゥ伝~花に降る月明り~』『ポッサム~愛と運命を盗んだ男~』などに登場する国王だ。

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『王の顔』ではソ・イングク、『華政(ファジョン)』ではチャ・スンウォン、『ノクドゥ伝~花に降る月明り~』ではチョン・ジュノ、『ポッサム~愛と運命を盗んだ男~』ではキム・テウが演じていた。

さらに、『王になった男』のドラマ版ではヨ・ジング、映画版ではイ・ビョンホンが光海君に扮していた。多くの名俳優たちが演じてきた国王が歩んだ人生を振り返ってみよう。

光海君は、14代王・宣祖(ソンジョ)の息子として1575年に生まれたが、彼には臨海君(イメグン)という兄がいたため、本来な国王にはなれるはずがなかった。

なぜなら、朝鮮王朝には「長男が後継ぎとなる」という原則があるからだ。しかし、臨海君は性格が粗暴で王の資質に欠けていた。

その一方で光海君は1592年に起きた豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に、地方で義兵を募ったりなど大きな功績を残した。

『ノクドゥ伝~花に降る月明り~』の光海君
『ノクドゥ伝~花に降る月明り~』ではチョン・ジュノが光海君を演じた(Licensed by KBS Media Ltd.(C) 2019 KBS. All rights reserved)

光海君は暴君ではなく名君だった

しかし、最初の正室である懿仁王后が亡くなり、宣祖が二番目の正室として迎えた仁穆(インモク)王后が1606年に念願の嫡子である永昌大君(ヨンチャンデグン)を産んだ。

それを喜んだ宣祖はすぐにでも彼を王位に就けようとしたが、その望みを叶えることなく1608年に世を去ってしまった。

王が後継者を指名しないまま亡くなれば、王妃が次の王を指名するのが通例だったが、当時2歳だった永昌大君を王にするのは仁穆王后が躊躇したため、光海君が15 代王として即位したのである。

しかし、光海君が即位しても王位継承争いは落ち着かなかった。いまだ中国の明がまた光海君の即位を認めなかったのだ。さらに、王になれなかった臨海君もまた、光海君への批判を繰り返していた。

この状況を不安視した光海君は1609年に兄の臨海君を殺害し、1614年に異母弟の永昌大君を殺害してしまった。

それが光海君が暴君と呼ばれる最大の原因なのだが、その一方で外交面では多大な成果を残し、内政面でも庶民の減税に尽力するなど名君としての一面も見せている。

そんな光海君だが、1623年に宣祖の孫の1人である綾陽君(ヌンヤングン)が起こした大規模なクーデターによって廃位になり、流罪として江華島(カンファド)に流されたが、最終的には都からもっとも遠い済州島(チェジュド)まで流されている。

そこで66歳まで生きた光海君。暴君と名君の2つの顔を持つ彼が廃位にならず、国王であり続けていたら、どうなっていたのだろうか。

【光海君の人物データ】

生没年
1575年~1641年

主な登場作品()内は演じている俳優
『王の顔』(ソ・イングク)
『華政(ファジョン)』(チャ・スンウォン)
『王になった男』(ドラマ版ヨ・ジング、映画版イ・ビョンホン)
『ノクドゥ伝~花に降る月明り~』(チョン・ジュノ)
『ポッサム~愛と運命を盗んだ男~』(キム・テウ)

文=大地 康

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