『べらぼう』の蔦屋重三郎も親しんだ江戸の宴席文化を朝鮮通信使はどう見たのか

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NHK総合テレビで放送中の『べらぼう』では、主人公の蔦屋重三郎(演者は横浜流星)が版元(出版社)として成功していく過程が描かれている。ドラマを見ていると、彼も江戸の宴席文化を大いに楽しんでいる。当時の宴席では、芸能がどのように披露されていたのか。

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そのことを記録に残していたのが、朝鮮王朝の国書を持って来日していた朝鮮通信使の一行だった。

たとえば、1719年に江戸に来ていた申維翰(シン・ユハン)は朝鮮通信使の製述官(主に記録を担当していた)だったが、宴席での芸能についても記録を残している。

当時の朝鮮通信使の一行は、江戸にいるときは浅草の東本願寺に宿泊しており、文人たちが盛んに訪ねてきて朝鮮王朝の官僚たちと漢文の筆談で意見を交換していた。

また、経済力のある文人や江戸幕府側の重臣が申維翰たちを宴席に接待することもあったという。そのときのことを申維翰は次のように書き残している。

浅草の東本願寺
朝鮮通信使が江戸で宿舎にした浅草の東本願寺は今も同じ場所にある

宴席での芸能についての記録

「宴席には芸能を担当する者が多数待機しており、それぞれ楽器を持っていた。琵琶、笛、鼓を揃え、歌い手も数人いた。鼓をたたく者は必ず大きな声を出し、興が乗れば犬が吠えて鶴が鳴くごときだった。笛には孔があって、その音色は秋草にコオロギが鳴くようであった」

「歌い手は前に冊を置き、それを見ながら唱するのだが、あたかも書を読むようであった」

「舞を踊るのは16歳か17歳くらいの美男子10人であり、眉を描き、紅おしろいで化粧し、髪を結んで黒く艶やかにして、五色の紋錦を着る。彼らが舞うと、まるで魅惑的な美女のようであった。それから10人が二手に分かれ、5人は女性の服飾に変え、その姿は妖艶なる遊女のようであった。他の5人は遊侠の少年の装束で、妖しい遊蕩児の雰囲気をかもしだしていた。彼らはそれぞれ隊になり、東西に分かれて華麗に舞っていた」

以上のように、申維翰は宴席で披露された芸能を詳しく記録していた。18世紀の江戸では宴席の芸能として、10代後半の美男子が活躍していたことがよくわかる。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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