朝鮮王朝には27人の王がいたが、王妃は合計すると42人だった。朝鮮王朝は一夫一婦制だったので、王は常に1人だけの王妃と結婚していたが、もし王妃が亡くなるとかならず再婚するのでトータルで王妃は42人になっていた。
この42人の王妃の中で廃妃になったのは何人だっただろうか。
最初の廃妃は、6代王の端宗(タンジョン)の妻の定順(チョンスン)王后だった。彼女は、端宗が叔父の世祖(セジョ)に王位を奪われてしまったので、定順王后も結果的に廃妃となった。
2人目は9代王の成宗(ソンジョン)の妻だった斉献(チェホン)王后だ。彼女は、成宗が気に入った側室を呪い殺そうとしたり、成宗の顔を激しく引っ掻いたりして王宮を追われ、最後は死罪になってしまった。
3人目は燕山君の妻であった慎氏(シンシ)だった。彼女は夫がクーデターで廃位となってしまったので、そのあおりで廃妃になった。
4人目は中宗(チュンジョン)の妻であった端敬(タンギョン)王后である。
彼女の父が燕山君の側近であったし、叔母が燕山君の妻であったことが問題となり、燕山君を追放するクーデターを成功させた高官たちが端敬王后を強引に廃妃にしようとした。
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中宗は情けない王で、高官たちの言いなりになるしかなかった。そういう意味で、端敬王后は理不尽なかたちで廃妃となってしまった。
5人目の廃妃は15代王・光海君(クァンヘグン)の妻だった柳氏(ユシ)である。彼女は、夫がクーデターで廃位となったので自らも王妃から追放された。
6人目は19代王・粛宗(スクチョン)の二番目の妻だった仁顕(イニョン)王后である。彼女は、粛宗が張禧嬪(チャン・ヒビン)を寵愛しすぎた影響で廃妃となった。
しかし、張禧嬪が粛宗に嫌われて側室に降格した後に、仁顕王后は再び王妃に返り咲いている。そういう意味で、廃妃から王妃に復帰できたのは仁顕王后だけであった。
このように6人の王妃が廃妃となっている。この他に、26代王の高宗(コジョン)の妻だった明成(ミョンソン)皇后が暗殺されている。
以上のような経緯を見ていくと、自分の過ちによって廃妃になったのは斉献王后だけである。
その他の女性たちは、自分に過ちがないのに理不尽なかたちで王妃の座から降ろされてしまった。気の毒としか言いようがない。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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