【朝鮮王朝の三大女傑】女性王族の中で恐ろしいほどの強さを持った女傑は誰なのか

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朝鮮王朝の王妃は合計で42人いて、多くは国王の妻として王宮の中で地味に暮らした。国王を差し置いて目立つことを嫌った王妃がほとんどだったのだ。しかし、中には強烈な個性を持って男まさりの力を誇示した女傑がいた。それは、元敬(ウォンギョン)王后、貞熹(チョンヒ)王后、純元(スヌォン)王后の3人である。

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元敬王后〔1365~1420年〕

3代王・太宗(テジョン)の妻で、内助の功が凄かった。1398年、夫がクーデターを起こしたとき、政敵の急襲を察知して夫に瞬時に知らせた。それだけでなく、武器をあらかじめ調達して夫がピンチのときに救った。

このように、太宗が国王になるときの立役者の一人だったのだが、後に夫と不仲になり、彼女の親族はことごとく厳罰に処されている。それにめげず、最後まで太宗にきつく対抗して、強い心意気を見せた。

貞熹王后〔1418~1483年〕

7代王・世祖(セジョ)の妻で、1453年に夫が政変を計画したときに最大の協力者になった。急に弱気になった夫を叱咤激励して鎧を着せて、彼の士気を大いに高めた。夫が国王になった後は王妃として絶大な権力を持ち、世祖の死後も国政を仕切って王朝の繁栄を守り抜いた。この貞熹王后の長男の嫁が有名な仁粋(インス)大妃である。

『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』ではペ・ジョンオクが純元王后を演じた(写真=© STUDIO DRAGON CORPORATION)

純元王后〔1789~1857年〕

23代王・純祖(スンジョ)の妻。気の弱い夫の性格を見抜いて、実家の安東・金氏(アンドン・キムシ)の出身者を重用し、一族で政権の中枢を完全に独占した。このように、国王の外戚が政治を牛耳る有様は「勢道(セド)政治」と呼ばれた。

純祖の死後も後継者を自分で決めて、勢道政治を死ぬまで継続させた。しかし、賄賂(わいろ)政治がはびこるという弊害もとても多かった。人気を集めた時代劇『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』では、ぺ・ジョンオクが純元王后に扮し、絶大な権力を維持して25代王・哲宗(チョルジョン)をまるで「操り人形」のようにしてしまう様子が描かれていた。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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