女性問題は多いが王としては…『トンイ』の粛宗は君主として何をやったのか

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傑作時代劇『トンイ』では、チ・ジニが朝鮮王朝19代王・粛宗(スクチョン)を演じている。ドラマでは柔軟な思考を持った名君として描かれているが、確かに彼は史実でも国王として高い評価を得ている。王宮内の女性問題で騒動を起こすことはあったが、純粋に統治者としての粛宗は多くの業績を残している。

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最も顕著な業績となっているのが、経済を活性化させて貨幣の鋳造を熱心に行ったということだ。それによって庶民の生活が向上したことは間違いない。また、国防を強化して異民族からの侵入に備えていた。こうした政策も人々から大きな支持を得ていた。

さらに文化面では、儒教を学ぶための書院をたくさん整備している。一説によると、粛宗の尽力によって朝鮮半島全土に300あまりの書院や祠などが建てられたという。それによって、庶民の文化的な生活は大きな影響を受けている。

さらに、粛宗の統治時代には過去の歴史の見直しが行われている。それは朝鮮王朝で不当な扱いを受けていた王族の名誉を回復させるという事業だった。

たとえば、6代王の端宗(タンジョン)は叔父の世祖(セジョ)によって王位を強奪されて、最後は格下の魯山君(ノサングン)という称号を受けなければならなかった。それだけではない。ついには死罪になってしまったのだ。そんな魯山君について、粛宗は正式な国王の廟号である“端宗”を追尊した。

粛宗
チ・ジニが演じた粛宗は史実でも名君だったかも

粛宗の文化的な業績

これによって、端宗は200年以上も経ってから正式に国王として祀られることになった。さらに、端宗の復位を狙って処刑された成三問(ソン・サムムン)たちの“死六臣”も、その名誉を回復されている。

また、1645年に亡くなった昭顕世子(ソヒョンセジャ)の妻であった姜氏(カンシ)は、仁祖(インジョ)を毒殺しようとした嫌疑をかけられて廃位の扱いを受けていたが、それも取りやめて正式な王族として処遇するようになった。

このように、歴史的にあまりにも理不尽な扱いを受けていた王族が次々に復権していった。それも、粛宗の文化的な業績であった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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