時代劇『宮廷女官チャングムの誓い』が描いている時代は16世紀の前半だ。当時は、11代王の中宗(チュンジョン)が朝鮮王朝を統治していた。ドラマの中で中宗は、民衆の暮らしをいつも心配している名君として描かれている。果たして、それは史実に合っているのだろうか。
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本当のところ、実際の中宗はかなり優柔不断な国王だった。それには根拠がある。彼は自ら望んで国王になったわけではなかったからだ。というのは、1506年に暴君として悪名だらけだった燕山君(ヨンサングン)がクーデターで廃位となり、その異母弟であった中宗が仕方なく国王になったのである。
彼は当初、即位するのを辞退したが、クーデターを成功させた高官たちに懇願されて、やむなく王位に就いた。それなのに、中宗は高官たちに頭があがらなかった。
象徴的なのが、高官たちが図に乗って中宗に対して「端敬(タンギョン)王妃を離縁してください」と要求した一件だ。その理由は、端敬王后が燕山君の妻の姪であり、父親も燕山君の側近だったからである。実際、端敬王后の親戚には廃位された燕山君と関係が深い人が多かった。そのことによって、端敬王后は高官たちから嫌われてしまったのだ。
それにしても、中宗は堂々たる立場の国王である。たとえ臣下が要求しても拒絶すればよかったのだが、彼は気が弱すぎて端敬王后の廃妃に同意してしまった。こうして端敬王后は離縁させられたが、この廃妃の問題は中宗の心に深い傷を残した。
その後の中宗は無難に統治を続けたが、高官たちの言いなりになることが多かった。そういう意味では、自主性が乏しい国王であったことは間違いない。
そんな中宗なのだが、『宮廷女官チャングムの誓い』では自信に満ちた統治ぶりを見せていた。俳優イム・ホも精悍な表情で中宗を演じていて評判が良かった。結局、『宮廷女官チャングムの誓い』は中宗のことを史実以上に好意的に描いていたと言えるだろう。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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