【歴史コラム】『赤い袖先』の第1話に出てくる映嬪はどんな女性だったのか

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テレビ東京で9月1日から始まった『赤い袖先』。第1話では亡くなった映嬪・李氏(ヨンビン・イシ)のことが取り上げられていた。彼女はどういう存在だったのか。

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まず、英祖(ヨンジョ)の正妻は貞聖(チョンソン)王后だったが、子供を産んでいない。それゆえ、英祖の最初の息子は、側室の靖嬪・李氏(チョンビン・イシ)が産んだ孝章(ヒョジャン)だった。しかし、9歳で病死してしまった。

その後、英祖の二男となる思悼世子(サドセジャ)を1735年に産んだのが、側室の映嬪・李氏である。彼女は1696年に生まれている。

この思悼世子は大人になって英祖との間で確執が生じ、1762年に王宮の中庭で父親から厳しい叱責を受けた。

思悼世子は反省の態度を示した。

「過ちを改めて今後は正しく生きますので、どうか許してください」

思悼世子はこのように哀願したが、英祖は驚くべきことを語った。

『赤い袖先』の第1話からイ・ドクファが演じる英祖が登場する(NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)

息子を突き放した映嬪・李氏

「映嬪が余になんと言ったと思う? そなたがいかに世子にふさわしくないかを泣きながら訴えてきたのだ。もはやこれまでだ。自決せよ」

この言葉に周囲は驚愕した。なぜなら、映嬪・李氏が息子の思悼世子を完全に見捨てていたからだ。ちなみに、彼女は思悼世子以外に英祖の3人の娘を産んでいる。この娘たちを英祖は溺愛していたのだが……。

重臣たちも映嬪・李氏の真意をはかりかねた。

<まさか生母が息子に冷たくするなんて……>

結局、英祖が思悼世子の自決を促した背景には映嬪・李氏の影響もあったのである。

「お願いです。命だけは助けてください」

何度も思悼世子は哀願したが、英祖はそれを聞かずに息子を米びつに閉じ込めた。こうして思悼世子は餓死してしまったのである。
なぜ、映嬪・李氏は息子を突き放したのか。それは永遠の謎である。

映嬪・李氏は1764年に世を去っている。『赤い袖先』の第1話はこの女性の死亡から始まっている。つまり、このドラマは1764年からスタートしたのである。このとき、イ・サンは12歳であった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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