韓国MBCで人気を博している時代劇『袖先赤いクットン』(原題)は、2PMのジュノが主演している。彼が演じているのが若き日の正祖(チョンジョ)で、一般的には「イ・サン」とよく呼ばれている。
史実のイ・サンは、10歳のときに父の思悼世子(サドセジャ)が米びつに閉じ込められて餓死してからとても苦労した。立場的には、祖父の英祖(ヨンジョ)によって世孫(セソン)に指名されたのだが、「次の国王になる孫」という身分は安定していなかった。
なぜなら、敵対勢力が強烈だったからだ。それが老論派(ノロンパ)の高官たちであった。
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この老論派は思悼世子を陥れた連中が仕切っていた。彼らは、イ・サンに対しても「次の国王にふさわしくない」という立場を鮮明にしていた。それゆえ、英祖に対して何度もイ・サンを過小評価する言動を繰り返していた。いわば、老論派はイ・サンを徹底的にいじめたのである。その急先鋒が洪麟漢(ホン・イナン)だ。
この人物はイ・サンの親族である。
わかりやすく言えば、イ・サンの母親である恵慶宮(ヘギョングン)の叔父である。実際、恵慶宮の父である洪鳳漢(ホン・ボンハン)の弟なのだ。
親族としてこれほど近い関係にありながら、洪麟漢はイ・サンの即位を徹底的に阻もうとしていた。なぜなら、洪麟漢は老論派の重鎮であり、「イ・サンが思悼世子の恨みを晴らすために即位後に老論派を強く処罰するはず」と信じていたからだ。それゆえ、洪麟漢としては、たとえ親族であってもイ・サンに即位されては大いに困るのであった。
それで、洪麟漢は様々に、イ・サンの即位を阻む動きをしていた。とにかく、妨害行動は本当に熾烈で、とてもあくどかった。
そんな悪意ある親族にも対応しなければならなかったので、イ・サンは我慢に我慢を重ねて世孫という立場を守ったのである。まさに「忍耐」の一言であった。
このように、若き日のイ・サンは親族までも敵に回さなければならないほど苦しい境遇に置かれていたのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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