NHKで放送された『ヘチ 王座への道』は最終回が終わったが、ドラマで描かれていない「その後の英祖」について説明しよう。
英祖(ヨンジョ)は1724年に即位している。当時のことはドラマでも再現されていたが、危機を乗り越えた彼は安定した王政を築き、晩年には在位が50年を超えた。
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彼は自分の潮時を察して、1775年、81歳のときに23歳の世孫(セソン/国王の後継者となる孫)に代理聴政(摂政)をまかせようと考えた。
この場合の世孫とは、後のイ・サンこと正祖(チョンジョ)であった。
そこで、英祖は高官たちを集めて代理聴政の話をもちかけた。
意外なことに、強硬に反対する高官がいた。
それが、左議政(チャイジョン/副総理)の洪麟漢(ホン・イナン)であった。彼は世孫の母の叔父であったが、派閥が違ったので、世孫とは対立関係にあった。
「断固として反対いたします」
洪麟漢がそう言うと、感情が激しい英祖は激怒した。
「余の統治を世孫に受け継がせないというのか」
英祖は、洪麟漢を強く牽制した。
それでも、洪麟漢は英祖に従おうとはしなかった。
さらに、洪麟漢に同調する高官も意外に多かった。
「もう諸君とはこれ以上の話をしない」
そう断言した英祖は、「巡監軍(スンガムグン)を世孫の配下に付ける」と命令を出した。この一言は強烈だった。英祖に逆らおうとしていた高官たちは衝撃を受けた。
なにしろ、巡監軍は王を護衛する軍隊なのである。つまり、世孫が強力な軍事力を持つことを意味していた。
高官たちの態度が急に変わった。
巡監軍の介入に驚き、高官たちも弱気になったのだ。
結局、洪麟漢は屈伏し、世孫の代理聴政が決まった。
その翌年の1776年に英祖は82歳で亡くなった。
世孫はすでに代理聴政をしていて、慣例どおりに彼が次の王に決まった。
こうして22代王・正祖が誕生したのである。
それにしても、英祖が生きている間に代理聴政を世孫にさせておいて本当に良かった。それをしないままに英祖が亡くなっていれば、正祖は即位できなかっただろう。英祖は晩年の最後に朝鮮王朝にとって本当に大きな仕事をやってのけたのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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