NHK総合テレビで日曜日に放送されている大河ドラマ『べらぼう』。8月17日の第31回では、利根川決壊による江戸の洪水が描かれていたが、それは天明6年(1786年)7月のことだった。
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この年には、政治的にも大事件が発生している。10代将軍の徳川家治(演者は眞島秀和)が8月25日に世を去り、8月27日には老中の田沼意次(演者は渡辺謙)が解任されてしまった。
凄まじい権力を誇ってきた田沼意次であったが、将軍の死をきっかけに、ついに失脚に追い込まれたのだ。
それにしても、『べらぼう』の第31回で徳川家治が絶命する場面は異様な雰囲気だった。天下人でありながら、最後は恨みを残して苦悶しながら命を終えなければならなかった。
こうして、将軍と老中が一気に変わることになった徳川幕府。新しい体制がスタートする中で、田沼意次に好意的であった蔦屋重三郎(演者は横浜流星)はどのように立ち回っていくのだろうか。
今後の展開が興味深いところだが、徳川幕府と比較する意味で、朝鮮王朝の国王の生活ぶりを見てみよう。
徳川将軍は合計で15人であったが、朝鮮王朝の国王は518年間で27人もいた。その平均寿命は約46歳。平均寿命の面では“人生50年”までたどりつくことはできなかった、
その理由は3つあった。まずは、あまりの激務だったこと。なにしろ、国王がしなければならなかった仕事は1万種に及ぶと言われていた。激務すぎてストレスが多かったことが国王の寿命を縮めていた。
2つ目の理由は“食べ過ぎ”。国王は平均すると1日に5回の食事をとっていた。そのために、国王は口内炎に悩まされることが多かったという。それでも、食事の回数を減らさなかったことが身体によくなかった。
3つ目は“運動不足”。国王は威厳を保つために、動作をゆっくりしなければならなかった。速く歩くのは厳禁。これではすぐに運動不足になってしまう。
このように“過剰なストレス”“食べ過ぎ”“運動不足”が、歴代の国王の命を縮めてきたといえる。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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