NHKの大河ドラマ『べらぼう』の主人公は、1780年代に江戸の版元(出版社)として活躍した蔦屋重三郎(演者は横浜流星)である。ドラマでは、彼の動向と並行して江戸幕府の中枢にいた田沼意次(演者は渡辺謙)の動向も描かれている。
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当時、彼のような幕臣は、自分の屋敷から毎日江戸城に登城して職務に励んでいた。つまり、江戸城に住み着いていたわけではないのだ。
同じことが、朝鮮王朝の重臣たちにも言えた。彼らも都の漢陽(ハニャン/今のソウル)に屋敷を持っていて、毎日通いで王宮に出ていた。その場合の王宮は、各施設がどのような配置になっていただろうか。
朝鮮王朝の王宮の中で一番格式のある建物は正殿である。ここでは国王の即位式や外交使節の歓迎式などを行う。一番有名な景福宮(キョンボックン)の場合だと、勤政殿(クンジョンジョン)が正殿に該当している。いわば“王宮の顔”である。
その正殿の後ろにあるのが便殿だ。ここでは主に国王や重臣たちの公式会議や集会が行われていた。また、国王が正式な業務をするときも、主に便殿が使われた。いわば執務室でもあったのだ。そうした便殿の後ろには国王や王族女性たちの住まいがあり、さらにその奥に行くと側室や女官たちの住居があった。
また、王宮の中で東側にあるのが東宮(トングン)だ。ここは世子(セジャ)が居住していて、世子に従う官僚たちもここで働いていた。世子は未来の国王であり、陽が昇る東側が方角としても最良と考えられていた。それゆえ、世子の役所はかならず王宮の東側に造られた。
一方、朝鮮王朝の官庁があったのが王宮の西側である。自分の屋敷から王宮に通ってくる重臣たちは、ここで勤務を行っている。それゆえ、王宮の西側にはたくさんの官庁が並んでいて、人の出入りがとても多かった。このように王宮の各施設は配置されていて、統治の中枢を担っていた。
文・写真=康 熙奉(カン・ヒボン)
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