『べらぼう』で田沼意知を斬った佐野政言の墓はどこにあるのか

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NHKの大河ドラマ『べらぼう』では、主人公の蔦屋重三郎(演者は横浜流星)の動向がメインで描かれる。同時に、18世紀後半の江戸幕府の内情も題材になっている。

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特に、政治を率いた田沼意次(演者は渡辺謙)がよく出てくるのだが、ついに息子の田沼意知(演者は宮沢氷魚)が受難に遭ってしまった。それは、史実では1784年3月24日のことだ。

佐野政言(佐野善左衛門)という旗本が、江戸城の桔梗の間で、時の権力者であった田沼意知に斬りつけてしまった。田沼意知はほどなく死亡し、佐野政言も4月3日に切腹させられた。享年28歳であった。 

なぜ佐野政言が田沼意知を斬りつけたのか。個人的な恨みがあると当時の記録に残っているが、具体的なことは謎である。

田沼意知の政治は積極的に幕府財政を立て直したが、利権との結びつきが強くて世の中で批判を受けることも多かった。そのことで佐野政言が憤ったのだろうか。特に当時は飢饉や大火が続き、物価が高騰して庶民が苦しんでいた。ところが、この事件の翌日から高値の米価が下落し、やがては田沼意次も失脚してしまった。 

この佐野政言の墓があるのが浅草の徳本寺だ。

佐野政言(佐野善左衛門)の墓の位置を示している
佐野政言(佐野善左衛門)の墓の位置を示している

事件後に佐野政言は「世直し大明神」と崇められ、多数の老若男女が墓参りに来るようになった。それだけ、佐野政言は庶民から喝采を浴びたのである。

徳本寺は今も浅草にあり、佐野政言の墓が残っている。場所は地下鉄銀座線田原町から歩いて5分くらいのところだ。実際に行って墓参りをして手を合わせた。

佐野政言の墓
佐野政言の墓は浅草の徳本寺にある

今は『べらぼう』の人気で墓参りに来る人も多いという。そのことを草葉の陰で佐野政言はどのように思っているのだろうか。
徳本寺は東本願寺の真ん前にある。東本願寺といえば、江戸時代に朝鮮王朝からやってきた外交使節の朝鮮通信使の宿舎になった寺だ。

東本願寺
徳本寺の真ん前にあるのが朝鮮通信使の宿舎だった東本願寺である

朝鮮通信使の官僚たちは歴史好きが多かったので、あるいはこの事件のことを話題にしたかもしれない。実際、朝鮮通信使の宿舎と佐野政言の墓がある徳本寺が隣接しているというのも、本当に奇遇なことなのである。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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