『ホジュン~伝説の心医~』で王妃が産んだ大君の運命はどうなるのか

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テレビ東京の韓流プレミアで放送されている『ホジュン~伝説の心医~』は、終盤になってきて御医となったホ・ジュン(演者キム・ジュヒョク)の活躍が描かれている。

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このドラマでは7月24日の第62話で、ホ・ジュンが王妃の想像妊娠を当てている。それは本当に的確な診察だった。また、14代王・宣祖(ソンジョ/演者チョン・ノミン)に待望の大君(テグン/王妃が産んだ王子)が生まれたことが描かれていた。これは1606年のことだ。このあたりの事情を史実で振り返ってみよう。 

宣祖は、最終的に14人の息子と11人の娘をもうけたが、最初の正室の懿仁(ウィイン)王后は子供を産むことができなかった。彼女は1600年に45歳で亡くなり、宣祖は1602年に継妃を迎えた。それが、18歳の仁穆(インモク)王后だった。このとき、宣祖は50歳になっていた。

それから6年後、仁穆王后は男子を出産した。宣祖にとっては初めて正室から生まれた嫡男だったために、その永昌(ヨンチャン)大君を特別に可愛がった。ぜひとも後継ぎにしたいと考えていたのだが、すでに世子には側室が産んだ光海君(クァンヘグン)が決まっていた。それを替えるのは容易ではなかった。

もしも宣祖がもっと長生きしていれば、世子を永昌大君に替えることも可能だったかもしれないが、彼は1608年に2歳の息子の将来を心配しながら亡くなった。

「くれぐれも永昌大君をよろしく頼む」

『ホジュン~伝説の心医~』
画像=MBC

御医としての職務

宣祖は有能な側近たちにそう遺言していた。しかし、2歳では国王に就くことができないのも明らかだった。なんといっても、まともに言葉もできないのだから。

結局、世子の光海君がそのまま新しい国王として即位することになった。しかし、王位が安定せず、兄弟による骨肉の争いも起こってしまった。そんな騒動を医官としてホ・ジュンはどのように思っていたのだろうか。御医としての職務に専念して、政治から距離を置いたことは間違いないのだが…。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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