『ホジュン~伝説の心医~』の歴史解説、朝鮮王朝に実在した医療施設の全貌

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朝鮮王朝の長い歴史の中で、庶民の命を守るために存在した医療機関がいくつかある。その中でも特に注目すべきは、恵民署(ヘミンソ)という機関である。

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これは王朝初期に設立された恵民局(ヘーミングク)という組織が起源であり、当初は各地から集められた薬草や薬材の保管と管理を目的としていた。ところが、1467年に制度改編が行われ、済生院(チュセンウォン)という庶民医療を担っていた機関と統合され、名称も恵民署へと改められた。

この恵民署が担ったのは、王宮の外で暮らす民衆たちの健康を守るという崇高な役割である。だが、実態は理想とかけ離れていた。何よりの問題は常に人手不足であり、都に集まる大量の患者を限られた人数で診なければならなかった。こうした状況に対応するため、時には王族の健康を預かる内医院(ネイウォン)の医官や医女までもが、庶民の治療に派遣されることもあった。

内医院は、宮中で使う薬の調合や王の診療を行う医療機関であり、その技術や人材の質は極めて高かった。そのため、庶民にとっては、こうした医療の恩恵に与れること自体が稀であり、非常に幸運な機会だったといえる。

また、忘れてはならないのが活人署(ファリンソ)の存在である。これは恵民署とは異なり、さらに困窮した人々を対象とした医療・救済機関であった。都の東西に設置され、単に病を癒やすだけでなく、食料の支給や保護も行っていた。いわば、最貧層の命綱としての役割を果たしていたのである。

『ホジュン~伝説の心医~』
(写真=MBC)

朝鮮王朝の医療の歴史

こうした背景を理解する上で、韓国時代劇『ホジュン~伝説の心医~』をより面白く見ることができるだろう。

この作品は、実在の名医ホ・ジュンの生涯を描いたものであり、彼がどのようにして身分の壁を乗り越え、宮廷医師としての地位に登り詰めたのかが丁寧に描かれている。

ホ・ジュンは、朝鮮王朝第14代王・宣祖(ソンジョ)の主治医として知られ、後に医学書『東医宝鑑』を編纂するまでに至る。

物語では、彼が最初に医学の道へ進むきっかけとなったのが、地方の名医ユ・ウィテとの出会いであり、この師弟関係がドラマの中心軸をなしている。

恵民署のような庶民医療の現場も舞台の一部として登場し、そこでは貧しい人々のためにホ・ジュンが心を砕く姿が描かれる。

とりわけ印象深いのは、彼が「医は仁術」であるという信念を持ち、どれほど困難な状況でも患者に向き合い続ける姿である。出自の低さや社会の偏見に屈することなく、誠実さと技術で信頼を勝ち取っていく様は、視聴者の胸を打つ。

こうして『ホジュン~伝説の心医~』は、単なる医療ドラマにとどまらず、朝鮮時代の医療制度や社会構造、さらには「命を救うとはどういうことか」という根源的な問いを私たちに投げかけている。

恵民署や活人署の存在と合わせて鑑賞すれば、作品が持つ歴史的・人間的な深みがいっそう際立つだろう。

歴史と医療の接点に心を寄せるならば、ぜひ一度この作品を通じてホ・ジュンの世界に触れてみてほしい。そこには、過去の制度の中で懸命に生き、誰かの命を救おうとした人々の静かな情熱が息づいている。

文=大地 康

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