【『哲仁王后』のホントの歴史】哲宗は「操り人形」の情けない国王だったのか

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『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』というドラマは、キム・ジョンヒョンが演じる哲宗(チョルジョン)を本当に好意的に描いている。

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ドラマの中で彼は、無力な国王であることに耐え切れず、主導権を持った立派な国王になろうと努力している。さらに、現代韓国の男性の魂が入り込んでいる王妃(シン・ヘソンが痛快に演じている)の先進的な考え方に影響を受けて、民衆のための政治にも取り組もうとしていた。

彼がそこまで覚悟していたのは、大王大妃(テワンテビ)が仕切っている権力から脱却したかったからだ。彼はもう「操り人形」になりたくなかった。

それは、実際の歴史に対する強烈なアンチテーゼであった。

史実に残る哲宗の立場というのは、どれほど「操り人形」であったのか。それは、彼が即位した過程が如実に物語っている。

大王大妃(純元〔スヌォン〕王后のこと)の孫であった24代王・憲宗(ホンジョン)が亡くなったのは1849年である。わずか22歳で急死したのだ。

キム・ジョンヒョンが演じる哲宗は徐々に政治力を発揮していく(写真=© STUDIO DRAGON CORPORATION)

一番利用しやすい男

大王大妃は自分の権力を守れる後継者をすぐに見つける必要があった。しかし、候補者は限られていた。憲宗の6親等以内には1人も王族男子がいなかったからだ。

緊急事態となったが、大王大妃が見つけ出してきたのが元範(ウォンボム)だった。

誰なのか?

政府高官ですら知らなかった無名の若者は、英祖(ヨンジョ)から4代下にあたる18歳の青年で、曾祖父が米びつの中で餓死した思悼(サド)世子である。この思悼世子にはイ・サンの他に恩彦君(ウンオングン)という息子がいて、その恩彦君の孫が元範だ。

元範は孤独だった。彼の身近な男子は王族なのに政争に巻き込まれてしまい、こぞって命を落としていた。元範も配流先の江華島(カンファド)で没落した王族として辛い日々を送っていたのである。

食べるために農業に従事せざるをえず、学問もまともにできなかった。そんな男なのに、大王大妃は「一番利用しやすい男」として彼を選んだ。

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© STUDIO DRAGON CORPORATION

こうして、元範は25代王・哲宗(チョルジョン)として即位した。

彼は漢字が読めなかった。それは、大王大妃にとって好都合だった。なんでも指図通りに言うことを聞かせられるからだ。

そんな史実を持っている哲宗。『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』ではまったく別の人物像に生まれ変わっている。一番びっくりしているのは、草葉の陰で眠る本人かもしれない。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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