【執念の内助の功】『太宗 イ・バンウォン』で夫を国王にさせたい猛女は何をしたのか!

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大河ドラマ『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』は、中盤になると次第に、チュ・サンウクが演じる主人公の李芳遠(イ・バンウォン)の妻である閔氏(ミンシ)が、強烈な存在感を見せるようになった。彼女は夫を国王にさせるために大きな働きをした女性であり、朝鮮王朝でも他にいないほどの「内助の功」の立役者だった。

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歴史的にみると、李芳遠が閔氏と結婚したのは1382年のことである。李芳遠が15歳で閔氏は17歳。彼女は2歳上の「姉さん女房」であった。当時は、李芳遠の父親の李成桂(イ・ソンゲ)が実力者にのしあがっていく途上だった。

閔氏の実家は高麗王朝の超名門であり、李成桂は閔氏一族の力をあてにして五男の婚姻を進めたのである。そういう意味で、李芳遠と閔氏の結婚は大成功となった。

しかし、1392年に朝鮮王朝が建国されても、李芳遠は世子になれなかった。初代王妃の神徳(シンドク)王后が産んだ李芳碩(イ・バンソク)が選ばれてしまったのだ。

李芳遠は高麗王朝を滅ぼすときに大きな功績を果たしたのに、残念ながら実績が無視された。このように異母弟が世子になって悔しい思いをした李芳遠であったが、それ以上に憤慨したのが閔氏だった。

太宗 イ・バンウォン~龍の国~
(写真提供=Monster Union)

意志の固い女性

彼女は「夫こそが王朝を引き継いでいく後継者」と信じていて、夫を叱咤激励して政変に備えた。その機会は、意外に早く現れた。神徳王后が1396年に世を去ったのだ。つまり、世子の李芳碩は有力な後見人を失ったのである。

その時点でもまだ李芳遠は決断できていなかったが、妻の閔氏が夫を促して挙兵の準備を進めた。そこまで過激に動けるのが閔氏の持ち味であった。こうして李芳遠が世子になれる道ができたのだが、彼は父との確執を乗り越えて最大の権力者になっていった。

『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』ではパク・ジニが閔氏に扮している。意志の固い女性をベテラン女優が力強く演じており、今後もますますドラマで存在感を高めていくことだろう。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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