『華政(ファジョン)』が描いた「朝鮮王朝最大の屈辱」とは?

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テレビ大阪で韓国時代劇『華政(ファジョン)』が放送されていて面白い。ドラマは大いに盛り上がっていて、6月12日(金)の第55話では、朝鮮王朝が強大な清に屈服する場面が描かれた。

それは、朝鮮王朝の歴史の中でも最大の屈辱と呼ばれた。史実ではどんなことが起こったのか。改めて紹介しよう。

1636年12月、強大な清が朝鮮半島に12万人の大軍で攻めてきた。

当時の国王は16代王の仁祖(インジョ)。彼は極度の混乱に陥り、満足な指揮を取ることができなかった。

清の激しい攻撃の前に次々と破られる防衛線。仁祖に残された手段は都の郊外にある南漢山城(ナマンサンソン)に籠もり、守りを固めることだけだった。

南漢山城の中では、降伏論と徹底抗戦論が不毛に続き、なんの結論がないままに40数日が過ぎた。

『華政』で仁祖を演じたキム・ジェウォン

■仁祖が受けた最大の屈辱とは

状況の打開が困難だと悟った仁祖は、清への完全降伏を決心した。しかし、清が提案する降伏条件はあまりにも屈辱的だった。

それは三田渡(サムジョンド/漢江〔ハンガン〕のほとり)に設けられた祭壇の上で、仁祖が清の皇帝に直接ひざまずいて頭を下げるというものだった。

この一件は朝鮮王朝最大の恥として、「三田渡の屈辱」と呼ばれた。

それだけではなかった。

さらに、清は仁祖の3人の息子を人質として清に連れ帰ってしまった。息子3人と別れるとき、仁祖は慟哭(どうこく)して涙を流し続けたという……。

「なぜ、こんな屈辱的な目にあうのか」

朝鮮王朝は全土が悲しみに暮れた。

こうした歴史的な出来事も『華政(ファジョン)』で詳しく描かれていた。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)
 

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