名作『赤い袖先』の主人公は後に朝鮮王朝22代王・正祖(チョンジョ)になるイ・サンだ。彼の政敵だったのが、最大派閥の老論派(ノロンパ)だった。
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この老論派は、イ・サンの父である思悼世子(サドセジャ)を死に至らしめた張本人といえる存在である。彼らは、イ・サンが21代王・英祖(ヨンジョ)の後を継ぐことを、何があっても阻止せねばならぬと考えていた。
というのも、イ・サンは、英祖が思悼世子に自決を命じたとき、まだ幼くして父の背後に従い、涙ながらに助命を願い出ていた。父が米びつに閉じ込められ、飢えに苦しみ、やがて息絶えるまでの一部始終を、イ・サンは目に焼き付けていたのだ。
その痛ましい記憶は、冷酷なる老論派への憎しみとなり、心の奥底に激しく渦巻いていたであろう。もしイ・サンが王位に就けば、老論派の重臣たちが次々と粛清されるのは火を見るよりも明らかであった。
ゆえに、老論派は策を講じ、イ・サンに代わる存在として異母弟たち3人を擁立しようと企んだ。この3人は思悼世子の側室が産んだ子らである。そのなかでも、とりわけ目をかけられたのが、朴(パク)氏を母に持つ恩全君(ウンジョングン)であった。
朴氏は、かつて思悼世子の手によって命を絶たれた女性である。その子である恩全君が父に対して複雑な、いやむしろ負の感情を抱いていたであろうことは想像に難くない。老論派にとって、彼は容易に懐柔できる駒でもあった。
このようにして、老論派は水面下でイ・サンを廃する陰謀をめぐらせた。イ・サンの命を狙ったことは一度や二度ではない。このように、命の危機と隣り合わせで生きねばならぬ彼は、決して油断しなかった。
彼は常に衣を着たまま眠ったという。ひとたび不穏な気配を感じれば、すぐにでも逃げ出せるように…。その用心深さは並々ならぬものであった。まだ10代という多感な年頃に、ここまで神経を張り詰める生活を強いられていたとは、なんとも哀しきことである。
その用心深き性格は、イ・サンの宿命そのものが育んだものであった。しかし、この試練があったからこそ、イ・サンは強い精神力を身に着けることができたのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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