イ・サンの女性関係は果たして名君にふさわしいものだったのか

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朝鮮王朝第22代王・正祖(チョンジョ)として即位したイ・サン。彼は名君として広く知られているが、その私生活、とりわけ女性関係にはどのような物語が秘められていたのだろうか。

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イ・サンの正妻であったのは孝懿(ヒョウィ)王后である。時代劇『イ・サン』では、女優のパク・ウネが気品あふれる王妃を演じていた。歴史の記録によれば、孝懿王后は「数多い王妃の中で一番の聖女であった」と称されている。その美徳は、温和で慈愛に満ちた性格に表れていた。王宮の中で、彼女は多くの者から慕われた。

しかし、彼女は王の子を授かることができなかった。そのため、大妃(テビ/王の母)になることはなかったが、それでもイ・サンの母である恵慶宮(ヘギョングン)を誠実に支えた。『イ・サン』では、恵慶宮をキョン・ミリが力強く演じていたが、実際の孝懿王后は無垢な優しさを持っていた。まさに「聖女」と呼ぶにふさわしい。

イ・サンが1800年にこの世を去った後、孝懿王后は21年間を静かに生き、1821年に68歳で逝去した。その死は多くの人々に惜しまれ、彼女の名は「一番徳があった王妃」として歴史に刻まれている。

一方、『イ・サン』でハン・ジミンが演じたソンヨンのモデルとされるのが、イ・サンの側室であった宜嬪(ウィビン)・成氏(ソンシ)である。イ・サンには4人の側室がいたが、最も寵愛されたのが宜嬪・成氏だった。

『イ・サン』
時代劇『イ・サン』ではイ・ソジンがイ・サンを演じた

愛する者を失う切なさ

彼女はイ・サンとの間に文孝(ムニョ)世子をもうけた。この王子が健やかに成長していれば、イ・サンの後を継ぐ国王となっていたはずだった。しかし、無情にも文孝世子はわずか5歳で夭折してしまう。さらに悲劇は続いた。宜嬪・成氏は再び妊娠するも、まもなくこの世を去ってしまった。

結局、イ・サンの後継者を産んだのは、別の側室である綏嬪(スビン)・朴氏(パクシ)であった。彼女が1790年に産んだ王子が、後に第23代王の純祖(スンジョ)となった。

歴史に名を残す偉大な王であっても、その人生には計り知れない哀しみと愛が交錯している。王としての責務の裏には、愛する者を失う切なさが常に付きまとっていたのである。

文=大地 康

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