恵慶宮(ヘギョングン)は、時代劇の傑作『イ・サン』でキョン・ミリが扮し、『赤い袖先』でカン・マルグムが演じていた。ドラマの中でも性格がきつい女性だった。
【『赤い袖先』の舞台裏】イ・ジュノが演じたイ・サンの母はどんな人だったのか
史実の彼女は、1735年に生まれた。夫は21代王・英祖(ヨンジョ)によって餓死させられた荘献(チャンホン/後の思悼〔サド〕世子)である。
荘献が罪人として亡くなったことにより、王妃になるはずだった恵慶宮の運命は極端に変わった。しかし、夫の死には、少なからず恵慶宮も関係していた。実は、彼女には夫を見捨てた行跡もあったのだ。なぜ、そんな態度を取ったのだろうか。
荘献と恵慶宮は1744年に結婚した。2人はともに9歳だった。それから8年後の1752年、後に22代王・正祖(チョンジョ)になる長男のイ・サンが生まれた。この時点では、恵慶宮の人生は恵まれたものだった。
その人生を狂わせたのが、1762年の荘献餓死事件である。このとき、恵慶宮の行動に不可解な部分がある。それは、夫の荘献が米びつに閉じ込められて餓死させられようとしているのに、「夫を助けてほしい」と願い出ていないことだ。冷たいくらいに沈黙を貫いている。
実は荘献の餓死を画策したのは老論派だが、恵慶宮の実家も老論派の一派であり、彼女の父と叔父は政権の中枢にいて荘献と敵対していた。恵慶宮も大いに悩んだはずだが、結果的には自分の実家に有利になるような動きを見せてしまった。
背景には、夫婦仲が良くなかったことが挙げられる。また、恵慶宮にしてみれば、夫の荘献が亡くなったとしても、息子が後継ぎとして国王になる可能性が高かった。さまざまなことを考慮して、恵慶宮は荘献が有利になるように動かなかった。
ただし、1776年に即位した正祖は、恵慶宮の思惑通りにはならなかった。彼は、父親である荘献の死に関わった者を次々と処分したが、その渦中で恵慶宮の実家は没落してしまった。
父親を慕っていた正祖は、自分の在位中に荘献に「荘祖(チャンジョ)」という尊号を贈った。つまり、荘献は死後に国王に祭り上げられたのである。それによって恵慶宮も王妃となり、献敬(ホンギョン)王后と呼ばれた。そして、彼女は1815年に世を去った。
【恵慶宮の人物データ】
生没年
1735年~1815年
主な登場作品()内は演じている俳優
『大王の道』(ホン・リナ)
『洪國榮-ホン・グギョン-』(イ・サンスク)
『イ・サン』(キョン・ミリ)
『秘密の扉』(パク・ウンビン)
『赤い袖先』(カン・マルグム)
文=大地 康
■【関連】【地獄を見た世子嬪】夫が無惨に亡くなったことで悲劇に陥った2人は誰?
前へ
次へ