世子嬪(セジャビン)は世子の妻であり、夫が国王になれば王妃になれる身分だった。それだけに、将来が安泰だった女性なのだが、もし世子が不幸に見舞われたら、一気に境遇が逆転してしまう。
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そういう意味では、世子嬪の将来はすべて「世子次第」というわけだ。そんな危うい立場にあった世子嬪の中で、恐ろしい悪夢を見た女性が2人いる。
1人目は、16代王・仁祖(インジョ)の長男であった昭顕(ソヒョン) 世子の妻の姜氏(カンシ)だ。彼女は、朝鮮王朝が清に屈服したとき、人質として夫と一緒に清に連れていかれた。
このとき、姜氏は軟禁状態の中でも夫に尽くして、生活をしっかり維持していた。そして、1645年に夫婦はようやく祖国に戻ることができた。
しかし、昭顕世子は父の仁祖に嫌われてしまい、不可解な死を遂げている。仁祖によって毒殺された疑いがきわめて濃い。さらに、姜氏も仁祖を呪詛(じゅそ)した嫌疑を受けて自害に追い込まれてしまい、息子たちも悲惨な目にあっている。まさに、「天国から地獄に落とされた世子嬪」と言える。
2人目は、21代王・英祖(ヨンジョ)の息子であった思悼(サド)世子の妻の恵慶宮(ヘギョングン)だ。
結婚当初、思悼世子と恵慶宮は仲が良かった。しかし、次第に険悪な関係になっていた。思悼世子が酒乱と暴力を繰り返したことが原因だった。そうした素行の悪さは父親の英祖の耳にも届き、思悼世子は何度も叱責を受けている。
そのうち、親子の確執が表面化して、1762年に思悼世子は英祖によって米びつに閉じ込められて餓死してしまった。必然的に、恵慶宮も世子嬪の身分を失った。
以上の2人の世子嬪は、結局は王妃になれなかったが、それでも恵慶宮はまだ恵まれていた。息子のイ・サンが国王になったからである。そう考えると、一番不幸な世子嬪は間違いなく姜氏であった。彼女は一家を滅ぼされた「本当に不幸な女性」だったのだ。かつては王妃になる時を心待ちにしていたはずなのに……。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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