【歴史コラム】『イ・サン』が描くソンヨンと恵慶宮の関係は史実とどう違うのか

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テレビ東京の韓流プレミアで放送されている『イ・サン』は、「韓国時代劇の巨匠」と称されるイ・ビョンホン監督の傑作だが、史実に基づいている部分と完全なフィクションの場合と二通りがある。そして、ドラマの中で史実と違うのが、ハン・ジミンが演じるソン・ソンヨンとキョン・ミリが扮する恵慶宮(ヘギョングン)の関係だ。

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『イ・サン』では恵慶宮が徹底的にソンヨンを嫌っていて、イ・サン(イ・ソジン)の近くにソンヨンが来ないように厳しく見守っている。しかし、それは史実とは違う。そのあたりを詳しく解説してみよう。

ソンヨンのモデルになっているのは宮女の成徳任(ソン・ドギム)だ。彼女は歴史的には側室の宜嬪・成氏(ウィビン・ソンシ)と呼ばれているが、実際にどのような女性であったのだろうか。

成徳任は1753年に生まれている。父親は洪鳳漢(ホン・ボンハン)の屋敷で働く使用人であった。この洪鳳漢というのは恵慶宮(ヘギョングン)の父親である。つまり、成徳任の父親は恵慶宮の実家で働いていたのだ。

それが縁で成徳任は9歳のときに王宮に入って宮女の見習いとなった。それだけではない。彼女は王宮の中で恵慶宮の元に預けられている。そして、成徳任は恵慶宮の長男であるイ・サンと知り合うようになった。そのとき、イ・サンが10歳で成徳任が9歳であった。

『イ・サン』に登場するソンヨンと恵慶宮

史実に基づかないフィクション

なお、イ・サンの妻であった孝懿(ヒョウィ)王后は1753年に生まれており、成徳任と同じ歳であった。それゆえ、孝懿王后と成徳任の関係もとても良かったと言われている。

以上のような史実を考えると、恵慶宮が成徳任を嫌うわけがなかった。むしろ、成徳任は父親が恵慶宮の実家で働いていた関係で、宮中入りしてから恵慶宮から可愛がられていたのである。こういう実話がありながらも、ドラマ『イ・サン』では、成徳任をモデルにしているソンヨンと恵慶宮が敵対するように描かれている。そうした部分は史実に基づかないフィクションだったのである。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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