イ・サンの母であった恵慶宮は「夫より実家が大切」という悪妻であった

2023年11月12日 歴史 #康熙奉コラム #写真
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人気のある時代劇というのは、歴史の記憶をよみがえらせるインパクトがある。特に、1762年に父の英祖(ヨンジョ)によって米びつに閉じ込められて餓死した思悼世子(サドセジャ)は、ドラマを通してあまりに有名になった悲劇の張本人だ。

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彼の妻が恵慶宮(ヘギョングン)であった。というより、彼女は名君イ・サンの母として有名だ。イ・ジュノが主演した『赤い袖先』ではカン・マルグムが恵慶宮を演じていたし、イ・ソジンが主演した『イ・サン』では個性派のキョン・ミリが恵慶宮に扮していた。

史実を詳しく見ると、恵慶宮は夫が米びつに閉じ込められているのに、あえて助命のための活動をしなかった。それはなぜなのか。

実は餓死事件が起きたときは思悼世子と恵慶宮の夫婦仲が極端に悪くなっていたのだ。その証拠として、恵慶宮が晩年に随想録を書いたときも、彼女は夫のことを辛辣に批判していた。具体的に恵慶宮は夫のことを「家臣によく暴力をふるった」「酒癖が良くなかった」「たびたび精神が錯乱状態に陥っていた」「側室を殺したことがあった」などと指摘していた。 

反対に、恵慶宮は自らの生家である洪一族の名を情熱的に擁護した。洪一族と思悼世子は、政治的に対立することが多かったので、父の洪鳳漢(ホン・ボンハン)と叔父の洪麟漢(ホン・イナン)は、思悼世子の未来の即位を食い止める動きを活発に展開した。

ドラマ『イ・サン』ではキョン・ミリが恵慶宮を演じた

洪一族の名誉を守る使命感

そのことはイ・サンが1776年に即位したときに巨大な波紋を呼び起こした。2人の策動が露見し、最終的に洪麟漢は死罪に処されるという厳しい運命を課された。

こうして洪一族は悲壮な没落を迎えたが、この運命に果敢に立ち向かったのが恵慶宮であった。彼女はただの擁護者にとどまらず、随想録においても「父と叔父はまったく悪くない」という言葉を通じて、彼らの名誉を守り続けた。1815年、80歳でこの世を去った恵慶宮は、息子イ・サンの死を15年も超えて孤独に生き抜いたのである。

このように、恵慶宮の人生は洪一族の名誉を守るという使命感が貫かれていたと言える。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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