【『赤い袖先』の舞台裏】イ・ジュノが演じたイ・サンの母はどんな人だったのか

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傑作時代劇『赤い袖先』でイ・ジュノが演じたイ・サンは、思悼世子(サドセジャ)の息子であった。父は1762年に英祖(ヨンジョ)によって米びつに閉じ込められて餓死したが、そのときにイ・サンは10歳だった。

【関連】イ・サンの母であった恵慶宮は「夫より実家が大切」という悪妻であった

『赤い袖先』では思悼世子の話は登場してこなかった。ドラマは思悼世子が亡くなった後から始まっている。とはいえ、史実で10歳のイ・サンが不満に思っていたことは、母の恵慶宮(ヘギョングン)が父の助命を積極的に願い出なかったことだ。

実際の歴史ではどうだったのだろうか。

『朝鮮王朝実録』の記述を検証したところ、恵慶宮が夫の命を救うために涙ながらに願った形跡は一切存在しないことが明らかだった。これは、幼いイ・サンが祖父である英祖に対して切実に「お父上をお助けください」と哀願した姿とは鮮烈な対比を成している。

実際、思悼世子と恵慶宮の間には、深刻な不和が渦巻いていた。

『赤い袖先』ではカン・マルグムが恵慶宮を演じた(写真提供=NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)
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お互いに思いやる親子

二人の結婚は1744年だが、初めは幸せな夫婦だったと伝えられている。しかし、徐々に思悼世子の品行の悪さが、恵慶宮の心を深く傷つけるようになった。特に、酒癖の悪さや家臣に対する暴力は、彼女にとって大きな悩みの種だった。

思悼世子は幼少期から非凡な才能を有していたが、成人するにつれてその素行の悪さが目立つようになり、酒乱の果てに側室を殺害するという凶行に及んだこともあった。恵慶宮はそんな夫に対して怒りを露わにして、夫婦の仲は次第に険悪なものとなっていった。

結果として、思悼世子は父である英祖によって世子の地位を剥奪され、米びつの中で悲惨な最期を迎えた。この悲劇を、恵慶宮は冷静に受け止めるしかなかった。彼女にとって、息子を国王にするための努力が最優先事項であったのだ。しかし、父親思いのイ・サンは、母親の恵慶宮を「冷たい」と感じるようになり、国王になってもその感情は消えなかった。

『赤い袖先』では、イ・サンと恵慶宮はお互いに思いやる親子として描かれた。恵慶宮に扮した演技派のカン・マルグムも堅実な演技でドラマを盛り上げていた。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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