歴史的に有名なイ・サンは、傑作時代劇の主人公としてよく似合っている。実際、彼を取り上げた『イ・サン』と『赤い袖先』は時代劇史上に残る名作となった。そんなイ・サンを取り巻く女性たちの実像はどのようになっていたのだろうか。
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最初に正室であった孝懿(ヒョウィ)王后を取り上げよう。彼女は1753年にこの世に誕生した。まだ幼い9歳のとき、彼女は世孫(セソン/国王の正式な後継者となる孫)であったイ・サンの妻となり、23歳の1776年に王妃という栄光ある地位に就いた。
彼女は誰からも心から尊敬されるほどの人格者であった。年配の王族女性には忠誠心を尽くし、年下の身内に対しては温かい目を向けていた。真に評判の高い女性であるが、残念なことに、イ・サンとの間に子供を授かることは叶わなかった。
夫であるイ・サンが1800年にこの世を去った後も、孝懿王后は慎ましく生きた。そして、1821年に68歳の生涯を閉じた。朝鮮王朝には42人の王妃がいたが、彼女は「徳が一番高かった王妃」と讃えられた。
次に紹介するのは、宜嬪・成氏(ウィビン・ソンシ/本名はソン・ドギム)である。イ・サンには4人の側室がおり、その中の一人が彼女だった。時代劇『イ・サン』でハン・ジミンが演じたソンヨンのモデルであると同時に、『赤い袖先』ではイ・セヨンがその魅力を演じていた。まさに、人々の話題を集める女性だった。
宜嬪・成氏とイ・サンとの間には、文孝(ムニョ)世子という王子が生まれたが、この子は4歳ほどでこの世を去った。さらに、切ない運命に翻弄された宜嬪・成氏は、妊娠中に若くして亡くなったと言われている。この悲しい史実を知ると、『赤い袖先』でイ・セヨンが演じたヒロインの運命も、より一層悲しく感じられる。
最後に取り上げるのは、綏嬪・朴氏(スビン・パクシ)だ。彼女はイ・サンの側室として1男1女の子供をもうけた。その中で1790年に生まれた王子は、イ・サンが1800年に亡くなった後、わずか10歳で即位して23代王・純祖(スンジョ)となった。こうして、綏嬪・朴氏は国王の母となったのだ。彼女は側室のままだったが、女性として最高の栄誉を得たのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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